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10月31日
今日は、朝から曇りの比較的暖かな一日。
プチツールドのとも終わり、体に疲労感が溜まったまま、あっくり過ごした。
さすがに、明日から11月の非需要期に突入する前日とあってそれ程忙しくはなかったが、電動自転車やロードが売れて多少ほっとした。
商売を始めてもう35年、毎日が自転車の売れ行きに一喜一憂していた。
どこかへ出張に出かけている時でも、帰ると必ずノートの自転車売上帳を見て何台売れたか確認する。
我々にとって、やはり自転車の売れ行きは生命線で売れなくなったらそれでおしまいです。
でも、1日で数10台売れた時は、さすがにその納車整備に追われて売れたノートを見る余裕がなかった。
というよりも、商談と納車で頭がボ〜として、夕食を済ませたあと、直ぐにバタ〜ンキューだった。
それでも翌日の朝一番には、そのノートを開き、どの様な車種が売れたのかを調べた。
よくもまあ、35年間約12000日、その事から離れる事がなかったのは不思議です。
最近、もう売れた台数や売上げの事は長男に任せているので、それ程以前より気にならなくなったが・・・・
10月30日
今日も、朝から快晴の絶好のサイクリング日和の一日。
さて、氷見から自走で家までの80km足らずをどのコースで走るかいろいろと試行錯誤していた。
で、2日間山を登ったので、今回は平地主体の氷見〜雨晴海岸沿いから小矢部へと向かった。
足は2日間の疲れで乳酸が溜まっていたのか、わずかの坂道に差し掛かかっても痛みを感じた。
でも、そのわずかな坂をじっと我慢してようやく伏木のコンビニまでたどり着いた。
そこからは小矢部までのメイン道路を走っていたが、ダンプなどの大型車両が多かったので、途中で尾根沿いの生活道路を走った。
車も人も少ない生活道路を走ると、あっという間に小矢部のメルヘン小矢部道の駅に到着した。
そこからは、峠が一番きつくない倶利伽羅の天田峠を登ったのですが、最後の坂に差し掛かるところで次第に足の痛みが増してきた。
でも、どうにか踏ん張って登り、倶利伽羅から鶴来の街へと向かった。
3日の走行距離は約250kmで、平均速度は約21kmでした。
皆さんと一緒に走るのもとても楽しいのですが、ひとりで気ままに走るのも楽しいここ3日間でした。
10月29日
今日も、朝から快晴の絶好のサイクリング日和の一日。
親戚一同と別れて、ひとり次の宿泊先の氷見へと向かった。
その途中の七尾市内の自転車屋さんのかわもとサイクルの前を通ると、ちょうど店主が店先でパンク修理をしていたので、ちょこっと降りて挨拶を交わした。
その後、再び中能登町から一気に石動山へと登った。
途中に採石場があり、間違ってそのトラック通路を登っていると、前から急にダンプが降りてきたのには恐怖を感じた。
そこからは、ただひたすら石動山へと登った。
車も通らない、人も通らない道をただひたすらひとりで登っていると、熊が出没しないかとちと心配になった。
頂上付近は、以前と違うルートで登った事がある道に出くわしたので、そこからは一気に頂上にたどり着いた。
そこでは、紅葉がちらほら色づき始めてとてもきれいだった。
そこから一気に氷見方面に下ったが、さすがに落ち葉が敷き詰めてある急坂はスリップするのが怖くて、慎重に慎重に下った。
ここでも車も人も殆ど通らず、ただひとりひたすら青空の下、所々の紅葉が色づき始めた中、下り続けた。
ひみのはなに到着したのはお昼頃で、まだ集合までに十分な時間があったので、さらに氷見の街まで突っ走り、氷見の道の駅で昼食をとった。
さらに、疲れを癒すために足湯に入って英気を養った。
その後、再びひみのはなに向かい、直ぐに風呂に入り、再び疲れを癒した。
10月28日
今日は、朝から晴れの絶好のサイクリング日和の一日。
さて、和倉温泉の加賀屋の姉妹店の”虹と海”で親戚の親睦会があるので、9時30分過ぎに森本から津幡へとロードで向かった。
親戚一同はというと、それぞれの住まいの横浜、一宮、瀬戸から直接和倉温泉へと向かった。
津幡の山間に入ると、うる覚えの道を少し走った瞬間、何処へ向かっているのかふと判らなくなった。
でも、その丘を越えると、すぐに471号線に出るという甘い考えでいたので、いつまで経ってもその県道には遭遇しなかった。
しかし、走っているうちにようやく興津峠にさしかかる道に出て、どうにか471号線に合流した。
そこからは、山沿いに押水方面へと向かった。
快晴で、ひんやりした青空の下、身も心も最高の気分で走り続けた。
あっという間に押水にたどり着き、そこからは、159号線沿いに七尾へと向かった。
その途中の中能登からは、一度登ってみたかった碁石が峰方面へとただひたすら登った。
その勾配は10%の連続で、特に曲がり角はさらに勾配がきつくなっていた。
どうにか碁石が峰にたどり着いた時はほっとした。
その池の周りの景色は最高で、聖地にたどり着いたようななんともいえない神秘的な気分になった。
そこからさらに上に登り、風力発電のある最高地点の461mにたどり着いた。
その眼下に見下ろす眺めはとても素晴らしかった。
そこからは、同じ道を一気に降りて七尾へと向かった。
さらに、そこからは海岸線沿いに和倉温泉へと向かった。
ようやく和倉温泉の”虹と海”にたどり着いたのは、予定時間ぴったりの16時だった。
そこで、久しぶりの親戚一同と再開してとても楽しいひと時を費やした。
お風呂、料理、店内、寝室どれをとってもとても素晴らしく、さすがに加賀屋グループの旅館だなぁと思った。
10月27日
今日は、朝から曇りで時々雨の肌寒い一日。
店は割と忙しかったが、その間、明日からの2泊3日のプチツールドのとの構想を練っていた。
というか、宿泊先はすでに決まっていて、そのコースや2つ目の宿泊先でのスピーチについていろいろ思い巡らしていた。
時間的には、初めの宿泊先の和倉温泉”虹と海”へは16時までに到着しなければならなく、次の氷見の”ひみのはな”では15時までに到着しなければならない。
とすると、1日目は和倉温泉まで羽咋経由で行き、2日目は七尾から石動山〜氷見まで行くのがベストのような気がする。
さらに、3日目は仕事があるので、最短距離?の氷見市内〜神子原〜羽咋経由で帰る。
トータル距離は、ツールドのとの約半分の200kmちょいになるかなぁ?
でも、それによって3つの行事をこなすという離れ業。
天気はまあまあで、休日を挟んでいるのでそれでよしとした。
10月26日
今日は、朝から晴れの快晴の暖かい一日。
今日の朝錬の集合時間が8時だったので、仕事があるので断念して、6時30分過ぎからいつもの朝錬の集合場所の大手町ファミマに向かってランで走った。
そこからは、生まれて初めてランで卯辰山に登った。
一度、同じような坂を先日福井のアクアスロン大会で登ったことがあったので、思ったほどの辛さはなかった。
でも、中腹の勾配がきつくなる坂では、次第に足にきてしまった。
上からは、次々とアスリートがランで下ってきているのには驚いた。
グループで下る人、カップルで下る人、ひとりで下る人などさまざまだった。
いや、皆さん、語らいながら走る姿にその楽しさを感じとった。
その途中、途中でポラールのRCX5の画面を見ながら走っていたのですが、さすがに坂では、kmあたりのスピードが1分も遅くなっていた。
どうにか頂上にたどり着き、トイレの前でUターンしたあとに同じコースを下ったが、逆にkmあたり1分ほど速くなった。
そこからはずっと平地で、コースのパターンとしては、先日のアクアスロンと同じようなコースだった。
結果は、途中何箇所か信号で停まっていたので正確にはわからないのですが、ちょうど10km走って、kmあたり6分45秒だった。
さらに、ペースの最高は、kmあたり5分8秒だった。
明後日は、和倉温泉の虹と海までロードで走り、そこで宿泊したあと、氷見のひみのはなでもう一泊して帰ります。
10月25日
今日は、朝から晴れの昨日に引き続き雲ひとつない快晴の一日。
その朝一番に、久しぶりに朝錬に参加するために大手町ファミマに向かった。
集合場所には、10数名が集合されて、卯辰山経由で湯涌温泉方面へと向かった。
まだ足が温まっていないうちに卯辰山に登ったので、坂の途中で息切れしてしまった。
どうも、今週の日曜日におこなわれたアクアスロンのランといい、今日の卯辰山といい、坂を速く登るのがつくづく苦手だなぁと思った。
その後、鈴見団地の坂を下り、田上経由で湯涌温泉方面に向かった。
ここでもやはり先頭集団に付いて行けず、そのあとを追いかけて行くがなかなか追いつけなかった。
それよりも、途中でかっちゃんに抜かされてしまった。
で、どうにか湯涌温泉手前まで来て、その後、下谷町の坂を登り、熊走方面へと向かった。
ここでもだいやらに先を越されてしまった。
熊走大橋を越え、A練組は犀鶴林道に登り、我々C錬組は辰巳ダム方面へと向かった。
辰巳ダムで暫し写真を撮ったあと、田上のパン屋さんのディプシーへと向かった。
そこで、美味しいモーニングを食べながら団欒のひと時を過ごし、家路へと向かった。
10月24日
今日は、朝から秋晴れの清清しい一日。
朝晩は寒くて、昼間は暖かいこの時期はどのような服装で自転車に乗ればいいのか迷ってしまう。
まずは、アンダーシャツの上に薄手のロングジャージを着て、下はロングパンツを履き、さらにウィンドクレーカーを着込み、暖かくなってきたらウィンドブレーカーを脱いでジャージのうしろポケットに収納するのがベストのような気がする。
でも、体脂肪の少ない人にとっては、少し厚手のジャージやパンツをはいた方が体が温まる。
特に、登りは暑くなるのでウィンドブレーカーを脱ぎ、下りは体が冷えるのでウィンドブレーカーを着込む。
さらに、平地に到達すると気温が徐々に上昇し、再びウィンドブレーカーを脱いで走るのがベストのような気がする。
シューズカバーはまだ時期が早いので、もう少し気温が低くなると履いた方がいい。
グローブも、もう少し寒くなってからロンググローブにした方がいい。
さらに、ロングジャージやロングパンツのない方は、アームウォーマーやレッグウォーマーをすればいい。
いずれにしても、その時期の気温に合わせて走る服装を考える必要がある。
10月23日
今日は、朝から曇りで次第に晴れの平年並みの気温の一日。
刻一刻と秋が深まる中、仕事を終えて久しぶりにフィットネスクラブへ泳ぎに行った。
日曜日の筋肉痛もひとまず治まり、体も疲れが取れてきたので、久しぶりに1500m泳いだ。
勿論、ターンはタッチターンで泳いだ結果、36分とまあまあのタイムだった。
最初の500mは10分で泳げたが、次第に疲れが出てきたのか1000mで25分もかかり、その後の500mは11分もかかってしまった。
でも、以前と違ったのは、泳いでいてもそれ程酷くはなくて割と順調に泳げた。
只、まだまだ練習不足で、長い距離は知らず知らずに次第に失速していった。
フィットネスクラブで泳いで早一年、今年は仕事が忙しくてあまり練習できない中、どうにか当初より長い距離を泳げるようになってそれでよしとした。
今日のフィットネスクラブでも他のトライアスリートが数名いらっしゃったが、ナイトランをしたあとにプールに来られたのに驚いてしまった。
どうも、私は仕事が終わるのが20時なので、そこから用意して練習を始めるのが20時30分を越えるので、1種目しかこなす事ができない。
でも、あせらず急がずで、徐々に気長にトレーニングしようと思っています。
10月22日
今日は、朝から雨の肌寒い一日。
さて、日曜日のランによる筋肉痛がまだ治らないので、雨の中を1時間30分あまり市内をウォーキングした。
いつもの自転車によるポタリングとは違って、さらに速度が遅いので、その街並みの様子が手に取るようにわかりとても居心地がよかった。
その道中で、尾山町の”ラスカル”という喫茶店が閉店されていたのにはがっかりした。
ここへは、尾山神社の初詣に除夜の鐘が鳴る時に行った事があり、神社周辺ではここだけしか開いていなかった。
さらに、ゆるポタ朝錬で立ち寄ったことがあったが、とてもゴージャスなモーニングを舌鼓ながらのとてもいい雰囲気に酔いしれていた。
その後、尾山神社の商店街の裏通りにあるレトロな呑み屋街を歩いたが、とてもいい雰囲気を醸し出していた。
さらに、そこからすぐ近くのの中央公園へ行ったが、紅葉が少しづつ色づき始めていて、霧雨とすごくマッチしていてとても見応えがあった。
さらに、片町呑み屋街を歩いたが、やはりあの新天地の中央味食街はとてもいい雰囲気だった。
帰りの長町武家屋敷には、この雨にもかかわらず多くの観光客が歩いていた。
その中には以外や以外、白人が多かったのには驚いた。
その後、久しぶりに玉川図書館に入って、金沢3文豪である室生犀星、徳田秋声、泉鏡花の銅像を見入っていた。
兎に角、久しぶりの街中散策にとても満足だった。
10月21日
今日は、朝から曇りで時々雨の比較的暖かな一日。
昔気質の硬派の人間として、同じメンバーの人たち以外との交流はとても苦手です。
でも、この年になってようやくそのわだかまりも少しづつ取れてきたように思います。
それはひょっとして少年時代の環境にあったのかもしれない。
当時は、硬派の塊みたい連中がゴロゴロしていて、他のメンバーとは喧嘩ばかりしていた。
その日常茶飯事の喧嘩で尚更、その傾向が強くなったのかもしれない。
言うなれば、愛国心旺盛で他国と戦争ばかりをしていたのとあまり変わらないのかもしれない。
でも、逆に同じメンバーの人たちとはとても仲がよくて、殆どうちわもめのトラブルはなかったような気がする。
一方、他のメンバーと出会うとガンをつけてにらみ合い、一言罵声を発するとすぐに喧嘩になってしまう。
そのために日々体を鍛えて、喧嘩が強くなるように精進したものです。
もしかして、当時流行っていたやくざ映画の観すぎもあるのかもしれない。
この映画は私だけではなくて、当時全学連や革マル派、中核派の連中もこぞって観ていたようです。
あの浅間山荘事件や東大紛争はそれによる影響が多かれ少なかれあったように思う。
でも、うちわの中でのリンチ事件だけは、理解しがたいものがあった。
雨で暇だったので、このようなたわいもない話題になってどうもすみませんでした。
10月20日
今日は、朝から雨の肌寒い一日。
昨日のディアスロンのランの影響で、座って立ち上がると筋肉痛で歩くのがやっとの状態だった。
まあ、大人になって一番長くて起伏の激しいコースだったので仕方がないなぁと思った。
でも、筋肉痛というのは、病気や怪我と違って心地よい痛みで、その心地よさが更なる挑戦となってくる。
その事は自転車も同じで、アップダウンの激しい長い距離を走ると同じような痛みがでる。
但し、日頃同じような過酷なコースを走る人にとっては、その痛みはないような気がする。
私も自転車だったら、余程過酷なコースでない限り筋肉痛はでない。
企業経営者にトライアスロンに挑戦する人が多いのは、精神的な苦痛に比べれば肉体的な心地よい苦痛の方がずっと良くて、それによって逆に精神的苦痛が癒されるような気がする。
その事は、仕事で悩んでいる時に、思いっきり何もかも忘れて只ひたすら遠くまで自転車で走ると意外とその悩みが解消させるのに似ている。
それは多分、3種目共に有酸素運動で、ドーパミンが脳から降りてくる影響なのかもしれない。
いずれにしても、今精神的に悩んでいる人は是非トライアスロンに挑戦してみてはと言ってみた。
10月19日(日)
今日は、朝から晴れの清清しい秋晴れの一日。
その朝一番に、初参加の福井で開催される東山アクアスロン会場へと向かった。
レースガイドを改めてじっくり観るに、なんとランのコースの始めの4kmがちょうど卯辰山くらいの坂で、今まで一度も走った事のない未知の領域にちと不安を感じていた。
坂を登るのも、今までに平和町の父のお墓のせいぜい100mほどで、あとは全く登った事がない。
確かに、自転車と同じようにかなりきつかったのだけは体験できた。
スイムはというと、新潟の悠久山・東山トライアスロン以来一度も泳いでいなかった。
少し早めに家を出発したので、会場へはかなり早く到着した。
外は放射冷却現象でかなり寒く、エンジンをかけながら車の中で待機していた。
受付を済ませて、競技説明を聴き、いよいよ始めの種目のスイムをスタートした。
50mプールを3往復半して、再びスタート地点に走り、そこからさらに2回プールを往復して1050mを泳ぎきる。
申告タイムをかなり遅く書いたので、そのタイムに近いグループと泳いだので次々と前のスイマーを抜いていったが、かなり追い越すのに労力を要し、もっと速い申告タイムを書けばよかったと後悔した。
そのおかげで、スイムはそれ程疲れないでランに入ることができた。
そのランは、トランジッションのあとにいきなり長い上り坂で、まだ経験した事のない登りに足がパンパンになり、これ以上登れるのかと頭の中にちと不安がよぎりながら走った。
でもどうにか頂上にたどり着き、その後、ずっと下り坂が登りと同じ距離続いた。
でも、意外と下りは速くて、次々と前の走者を追い越す事ができた。
その後の平地では、そのアップダウンでかなり疲れていたが、コース上の至る所での応援に励まされたおかげでかろうじて先へ先へと進むことができた。
勿論、足も次第に限界に近づいてきたので、速度が次第に遅くなって何人かに次々と抜かれていった。
コースには1km毎に通過距離が書いてあり、さすがに8kmあたりから足も限界に近づいてきたので、残りの7km足らずを走れるのか不安でいっぱいだった。
でも、どうにかあと1km、1kmと近づいてきたので、我慢、我慢と思って歯を食いしばりながら走った。
最後の2kmあたりからさすがに限界だと思い、歩こう歩こうという思いが頭の中で過ぎってきたが、ふらふらになりながらもかろうじて走り続ける事ができた。
で、ゴールテープを切ったときは感無量で、その疲れもいっぺんに吹き飛んでいった。
人生初体験のアクアスロンは、走っている時はとても辛かったが、振り返ってみると逆にとても楽しく、来年もぜひ参加したいと思った。
10月18日
今日は、朝から晴れの肌寒い一日。
これからアクアスロンの参加で、福井まで行かなくてはいけないので手短にこの日記を書きます。
そもそもアクアスロンってスイムとランだけの競技で、肝心要のバイクがない。
この大会の主旨は、珠洲のトライアスロンや宮古島のトライアスロンのように本格的なものではなくて、まちづくりの一環としてのイベント。
なので、大人だけではなくて、キッズの参加種目も多く、以前に参加した新潟の長岡のトライアスロンとその点はよく似ている。
そもそも通っているフィットネスクラブのスイムの指導員が持ちかけた大会で、ここからも多くのメンバーが参加される。
私にとってバイクのない競技はと思ったが、初参加のアクアスロンってどんな感じなんだろうと少し興味もあったので参加に踏み切った。
でも、参加表明をしてコースを見ると愕然とした。
というのは、ランの14kmの長さは走った事がなくて、おまけにスタートしてすぐにかなりのアップダウンの坂があり、果たしてゴールまで完走できるんかなぁと思った。
まあ、当たって砕けろの心境で今から福井に向けて出発します。
10月17日
今日は、朝から晴れの肌寒い一日。
この寒さを感じるに、次第に秋が深まってきたんだなぁと痛感した。
朝の気温も15℃を切ったので、いつもの時間の朝錬はちと寒さに慣れないと集合しにくくなった。
晴れると放射冷却で寒くて、雨が降ると濡れて尚更寒さが身にしみる。
なので、昼間の暖かい時間帯に誰かサイクリングの企画を立ててもらえる方おいでますかと言ってみた。
私は、週末は仕事で参加できませんが、もう少し寒くなってお店が暇になったら午前中だけでも自ら企画しようと思っています。
振り返ってみると、今年は仕事が忙しくて思うように運動ができなかったが、どうにかトライアスロンに参加できたのでほっとしています。
もう少し練習できればと思ったが、これ以上練習すると仕事の忙しさもあって体力が持ちませぬ。
本当は、冬場の暇な時期にトレーニングを積み重ねて、冬場に開催される台湾かロタ島のトライアスロンに参加したいが、あと何年先になるやら・・・・・
今年は、来月に開催されるツールドおきなわで本土一周の2日間330km走破のサイクリングがグランフォンド富山に続く私の2回目のサイクルイベントになる。
さらに、週末の日曜日に開催される福井でのアクアスロンが、長岡で開催されたトライアスロンに続く2度目のアスロンの参加になる。
スイムは1kmで、ランがアップダウンのある14kmなのでちと不安なのですが・・・・・・
まあ、トライアスロン、ディアスロンは過去に参加したことはあるのですが、アクアスロンは人生初参加。
当たって砕けろという心境です。
10月16日
今日は、朝から秋晴れで清清しかったが、夕方から雷が鳴り響く大荒れの一日。
さて、今週はランと自転車でかなりトレーニングをしたので、週末まで静養しようと思った。
有酸素運動による疲れと仕事での疲れはかなり違うような気がする。
前者は、体が活性化されて心地よい疲れですが、後者は、精神的な面による疲労が重なりどっと疲れてくる。
特に春先の忙しい時には、一日中何人も商談で接客していると、夜には精神的に疲れて熟睡ができない。
なので、そのような仕事による精神的疲労が重なっている人には、自転車やスイムなどの有酸素運動で体をリフレッシュするととても効果がある。
でも、あまり無理をすると、逆に体の疲れが溜まって眠くなり仕事に身が入らなくなる。
その事は、トライアスロンに医者や弁護士、企業経営者などの知識人に参加者が多いのは納得できる。
特に都会では、その参加者がかなり多いみたいです。
でも、不思議なのは、どうしてそれを練習する時間がつくれるのか疑問です。
その一環として、ぶっつけ本番で、海外のトライアスロンに海外出張を兼ねて参加する方が多いようです。
10月15日
今日は、朝から晴れの肌寒い一日。
今日は、近づいてきたツールドおきなわの練習のつもりで200km走る事を決意した。
200kmを日が短い今の時期にどのようなコースを走ればいいのかいろいろ考えていた。
で、あまり登りがないコースでなければ明るいうちに帰る事ができないと思い、七尾から和倉〜氷見のコースを選択した。
でも、行きは予想に反して向かい風でそれ程スピードが出なかったが、平地だったのでそれなりに頑張れた。
犀川河川敷から金沢港(豪華客船を見学)〜五郎島〜内灘〜白尾〜高松〜羽咋へと向かった
羽咋からはずっと田んぼの中の道路を走り、千路駅の江戸時代から開業しているよろず雑貨屋さんに入った。
そこには、愛想のいいいつものおばあちゃんがいたので、ついつい目に入った駄菓子を買った。
で、60円といわれてその安さにびっくりすると共にチョコまでおまけしてくれた。
そのおまけのチョコだけで60円以上するのにと思った。
その後、JR七尾線沿いの道路に平行して、古い民家の中に走っている生活道路沿いを走ったが、とても風情があって心温まった。
その道路の最後が鳥屋だったので、ちょっと距離を伸ばすつもりで田鶴浜へと向かった。
ここでは、35kmの高速巡行で走ったためにあっという間に田鶴浜に到着した。
そこにある食品スーパーで栄養ドリンクを補給したあと、七尾湾に出て和倉温泉へと向かった。
風が少し冷たかったが、青空の下、真っ青な海を見ていると、疲れもあっという間に吹っ飛んで行った。
そこから七尾にある”ごはん処一歩”に入ったが、相変わらずの混み具合で暫しその前で待機していた。
でも、待機するだけあって、とてもボリュームのある刺身や焼き魚、茶碗蒸し、とんかつ、お汁、ごはん、どれをとってもとても美味しかった。
その後、七尾湾沿いに火力発電所の前を通って氷見へと向かった。
そこでの湾岸沿いのアップダウンは、次第に足にきてしまった。
でも、その後の氷見海岸沿いの道路は追い風で、35km巡行でどんどん飛ばして、あっという間に氷見の道の駅に到着した。
途中、風が強くて水しぶきがかかったが、心地よい冷たさだった。
そこでは、道の駅の入り口にある足湯に入り、100km以上走った足の疲れを癒した。
そこからは、すでに3時を過ぎていて急がないと日が暮れてくるので、最短距離の氷見街道沿いに走り、小矢部へと向かった。
もう足が動かなくなってきたが、どうにかメルヘン小矢部道の駅に到着し、再び栄養ドリンクを飲みその疲れを癒した。
そこからは、倶利伽羅へと向かい、小矢部ゴミ捨て場から津幡の街へと向かったが、最後のアップダウンに足が悲鳴をあげていた。
でも、その時点で180kmに達したので、もう少し頑張れば念願の200kmを走破できると思い、懸命に坂を登った。
ようやく津幡から森本〜百坂〜高柳〜金沢駅前を通り、少し暗くなったが、6時前に家路にたどり着いた。
かなりハードなサイクリングだったが、振り返ってみると、とても充実した今年一番の200km越えサイクリングだった。
10月14日
今日は、朝から曇りで時々小雨がぱらつく肌寒い一日。
昨日、日本映画チャンネルで”愛を乞うひと”を観ていた。
主演は原田美枝子で我々世代の大女優。
その母親が、孤児院から引き取った娘に虐待を繰り返すシーンはあの当時によく見かけた光景でもあった。
今の時代の虐待のように、子供に食べ物を与えず、挙句に手加減をしない暴行で死なすのとはちょこっと様相が違う。
確かに目を腫らすようなピンタや箒で殴りつけるシーンがあったが、当時の庶民の家庭でも大なり小なりおこなわれていた行為でもあった。
なので、当時の子供は親や教師は怖い存在で一目置いていたような気がする。
映画のシーンでは、少し度が過ぎる暴行があるが、娼婦でその日暮らしをしている呑んだ暮れの母親では仕方ないのかと思ってしまう。
その母親から逃げるシーンなども、それを追いかける母親の形相は凄まじいものであった。
でも、その子供が母親になり、そのどうしようもない母親探しに台湾まで出かけた娘は、まだその母親に未練が残っていたのかもしれない。
あの我々幼少時代の昭和を髣髴させるような見応えのある映画だった。
10月13日
今日は、台風の雨風の影響で大荒れの一日。
その朝一番には、少し小降りの雨だったが、向かいの大和公園から犀川河川敷に沿って、父のお墓がある平和町墓地へと走った。
そこまでは、ほんの少しの上りで、走るのにはちょうどいい勾配だったので、6分前半で走る事ができた。
でも、法島町から平和町に登る坂はかなり勾配がきつく、足の踏ん張りでかろうじて登りきる事ができた。
やはり、坂の辛さは自転車と同じだなぁと思った。
帰りは逆で急な下り坂だったが、自転車とは違ってあまり速く下る事ができなかった。
その後、犀川河川敷の沿って緩い下り坂を走ったが、次第に走るのが楽になったように感じた。
いわゆる世間で言われているランナーズハイなのかも知れない。
さすがに10kmを越えると、逆に次第に足が重くなり、気力でしか前へ進むことが困難になってきた。
各地点のスピリットタイムは、6分6秒、6分29秒、6分18秒、6分41秒、7分23秒、6分10秒、6分25秒、5分57秒、5分44秒、6分22秒、6分28秒、6分49秒
7分台は急坂を登ってお参りをした時間帯で、5分台はランナーズハイで気持ちよく走れた時間帯だなぁと思った。
前回14km走った時よりも平均ペースがkmあたり50秒速く走れたのでよしとした。
10月12日
今日は、朝から晴れの台風前の穏やかな一日。
店は、一般車、スポーツサイクル共々忙しく、商談や納車整備に追われた。
今日は偉大な哲学者のニーチェの言葉についてちょこっと考えてみた。
あの有名なテレビコマーシャルの中で歌っていた”ソソソクラテスかプラトンか、ニニニーチェかサルトルか、みんな悩んで大きくなった”の歌詞に出てくる哲学者。
その中で、友についての名言があるが、なるほどと思った。
友人をつくる方法
共に苦しむのではなくて共に喜ぶのだ。
そうすれば友だちがつくれる。
しかし嫉妬とうぬぼれは、友だちをなくしてしまうのでご注意を
真の友人をつくるのはとても難しいが、この点に注意して付き合えば、必ず真の友ができるような気がする。
最近、ネット友だちが話題になっているが、やはりお互いに顔を突き合わせて、面と向かって話し合うことでしか真の友ができないような気がする今日この頃だった。
10月11日
今日は、朝から晴れの比較的暖かな一日。
その朝一番には、朝錬の集合場所である大手町ファミマに向かった。
久しぶりのC練だったが、朝の冷え込みにもかかわらず10名以上の参加者がおられ、そのうち1名は初参加だった。
家は同じ町内で、まだ若くて私の長女の始めての教え子で、お父さんもロード乗りだった。
その他のメンバーは、皆さん走れそうだったので、少しペースを上げて走った。
というより、私の限界速度により近いスピードで走ったと言っていいのかもしれない。
湯涌温泉では、今日からぼんぼり祭りで、早朝にもかかわらず、それに興味のあるお方が数多く集合されていたのには驚いた。
竹久夢二館前の衝立看板をバックにお決まりの記念撮影を済ませたあと、時間があったので折谷町経由で見上峠へと登った。
さすがに、最初の一直線の勾配のきつい激坂は足に堪えた。
これを辛抱して登らなければ、来月2日間で330km以上のアップダウンの多いツールドおきなわを完走できないと思った。
でも、前半に足を使いすぎたせいなのか、後半かなりばててしまった。
やっとの思いで、医王山中腹の見上峠に到着した時はほっとした。
その後一気に下って、いつも利用している田上のディプシーのパン屋さんに立ち寄り、モーニングをしながらニューメンバーと共に談笑しながら憩いのひと時を過ごした。
10月10日
今日は、朝から曇りの蒸し暑い一日。
ようやく足の痛みも軽減され、走る足に筋肉が付き、本来の生活に戻ることができてほっとした。
よく考えてみると、自転車の漕ぐ筋肉とランの走る筋肉は本来違っていて、自転車乗りがランの練習をしないで走ると、踏ん張る力がなくて足が後ろへ流れて前へ進まなくなるらしい。
やはり、ランを長い距離走れるようになるには、自転車と同様に走り込みあるのみのようです。
そう考えてみると、トライアスロンという競技は大したもので、体中のすべての筋肉を鍛えなければ速く走ったり、漕いだり、泳いだりできない。
さらに、体全体の筋肉を鍛えると同時に、そのすべての筋肉が有酸素運動によって活性化されていつまでも健康そのものでいられるありがたいスポーツでもある。
でも、その弊害としては、昼食後に必ず睡魔が襲って来る事です。
勿論、それぞれの単独のスポーツをやっていても十分な有酸素運動ができて、健康そのものでいられる。
でも、このトライアスロンという競技は不思議なもので、医者や弁護士、企業経営者などの忙しい人ほど参加する人が多いようです。
で、どう時間を作っているのかというと、その仕事の合間、合間のちょっとした時間に練習するそうです。
昔から物事を頼むのには、忙しい人に頼みなさいということわざがあるのが判るような気がする。
10月9日
今日は、朝から晴れの久しぶりの夏日の暑い一日。
前日のランによる足の乳酸が取れないまま、少しびっこを引きながら仕事をしていた。
向かいのブリヂストンサイクル館まで行くのも辛かったが、夕方頃からようやくその痛みも軽減されてきた。
よく考えてみると、この乳酸による痛みは自転車も同じで、よく乗っている人は足が慣れて坂道でもあまり乳酸がたまらないが、初心者や久しぶりに走る人にとっては、その人たちのペースに付いていけなくて一緒に走るのを躊躇してしまうのがよく判ります。
そのレベルまでたどり着くには、かなり乗り込んだり走り込んだりしなければならなく、その後でないと一緒に走るのを躊躇してしまうのがわかるような気がする。
例えば、あるランチームで一緒に走ろうとしても、そのペースに付いて行けずに皆さんにご迷惑がかかるのではと思ってしり込みしてしまう。
もしゆっくり走ってくれる方がいれば一緒に走れるのになぁと思う気持ちは、自転車も同じ。
なので、この日記を読んでいる方でそうして欲しいと思っている方は、遠慮なく、私にメールでもmixiやFacebookや掲示板でも言ってくださいませ。
いくらでも企画を立てますよと言ってみた。
ゆるポタでもゆっくり坂道でも長い平地でも何でもOK ですよ。
その足がかりになればと思っている今日この頃だった。
10月8日
今日は、朝から秋晴れの清清しい一日。
さて、トライアスロンが終わってまだ3日しか経っていなくて足にまだ違和感があったが、無謀にもランの練習に犀川河川敷を14kmも走ってしまった。
ポラールのトライアスロン用RCX5をつけて走ったが、なんと心拍計の設定をOFF
にしたまま走ったので距離と平均ペースのみが頼りになってしまった。
さらに、スマーフォンのアプリのRunKeeperも設定していたので、kmごとのラップタイムを聴くことができた。
初っ端に6分台のアナウンスが聞こえてくると、やはり遅いんだなぁという自覚のまま走ったが、その後も6分台の連続で、折り返し地点からはなんと7分台になってしまった。
その時点から少しづつ足が前へ進まなくなり、歩幅も狭く、足も上がらなくなってしまった。
10km地点では、とうとう早歩きと変わらなくなり、残りの2kmはさらに遅くて8分台になってしまった。
トータルでは、kmあたり7分12秒で、14kmで1時間41分もかかってしまった。
やはり、日頃の少ない練習量で5kmくらいしか走らなかったのが響いてきたように思った。
でも、あまり無理をすると、膝を痛めるのでぼちぼちと練習しますと言ってみた。
その後は、足の筋肉痛と疲労で一日中日本映画チャンネルで映画を観たり、ビートルズのAbbey
Roadを聞き入っていた。
兎に角、ランの力なさに痛感した今日一日だった。
10月7日
今日は、朝から曇りで涼しくてとても過ごしやすい一日。
やはり日曜日のトライアスロンの疲れが残っていたのか、足の筋肉が痛み、体がだるくて眠い一日でもあった。
でも、何故か心地よい痛みで有酸素運動ってすばらしいなぁと思った。
何故かここ連日ロードレーサーの組み立てばかりをしているが、各メーカーによって組み立て過程が異なっている。
殆ど9部組みで、あとは車輪とペダルの取り付けとハンドルステムの締め付けだけで出来上がるメーカーとチェーンや各ワイヤー、ハンドル、バーテープ、チェーン、ディレーラー取り付けまでしなければならないメーカーまであり、多種多様です。
さらに、カーボンフレームの場合、ワイヤー通しが付いているメーカーはまだいいのですが、それさえも付いていないメーカーの組み立ては、パイプ内のカーボンの巣に引っかかり、なかなかワイヤーが貫通しない。
上記は特にフレーム売りのメーカーに多く、そのワイヤーの誘導にかなりの時間をとられる。
そのための通しの技術が必要なのですが、ここまでしなければならないメーカーは怠慢そのもので、その技術以前の問題です。
さらに、オイルディスクにしても、エア抜きを時間をかけてしなければならないが、高額の装置を使えば一発でエアー抜きができる。
どうも、各メーカーの規格がまちまちで、その負担が全部我々小売業者にかかり、まるで工場で働いている熟練工のような気がしてならない。
でも、我々販売店はあくまで小売業なので、いかに商品を売って売り上げを伸ばすのが目的で、技術を磨くのが目的ではないので、メーカー側もあまり我々販売店に組み立てやメンテナンスの負担をかけないようにして欲しいものです。
勿論、そのために発生する工賃は殆ど皆無で、その組み立て時間はタダ働きです。
さらに、1年契約として初期オーダーを一定の金額をとらなければ取引ができない負担ものしかかる。
その負担は膨大なもので、それによって経営収支が大きく変わってくる。
一方、その外資メーカーは、そのような負担を押し付けながらも商圏内でもやりたい放題に自らのコンセプトショップを開いたり、さらに利益率も徐々に少なくしている。
このように組み立て負担を背負い、クレームに対処しているまじめな小売販売店はかわいそうです。
その点をもう少しメーカー、特に外資系のメーカーは判って欲しいものです。
10月6日
今日は、朝から雨と風が強い台風一過の一日。
相変わらず、その被害状況についてどのテレビ局も一日中放映していた。
でもテレビ局は、なにかそのような災害が発生するたびに、その中でも特に酷い状況をあたかも楽しんでいるかのように映し出している。
あの台風時に、今にもふっ飛んでいきそうな風の中でのリポートは、観ていてもいかにも演出しているようなレポートにうんざりしてしまう。
さらに、御嶽山の被害にあった家族のレポートにしても、そっとしてあげようとは思わないのか思う。
レポーターの”今の気持ちはどうですか”という質問は、愚の骨頂です。
ゴールデンタイムには、あの芸のないタレントたちのつまらない食事会やクイズ番組、そのほかの時間帯は誇張した災害のレポートばかりで観る番組がない。
もっと芯のある番組を放映してくれるテレビ局はないものかといつも思ってしまう。
その中で、何十年と続いている”笑点”と言う番組が20%以上の視聴率を稼いでいるのはなんとなく判るような気がする。
さらに、NHKの朝ドラや”鶴瓶の家族に乾杯”、火野正平の”心旅”も高視聴率を稼いでいる。
それらは、観ていても人間臭くてなんとなくほっとする番組。
そのような味のある番組を増やして欲しいと思う今日この頃だった。
10月5日
今日は、朝から曇りで昼前から雨の肌寒い一日。
さて、今年初めてのトライアスロン大会に参加するためにハタ○カさんとその彼女とよっしーの4人で長岡へと向かった。
途中、米山あたりで雨がぱらついてきたので雨の中のバイクとランになる予感がした。
会場では、9時30分から10時30分までの受付だったが、ぎりぎりの時間に到着したので、すぐに受付を済ませて、各トランジットでの準備と着替えを急いだ。
今回は、前回と違ってスイムの距離が250m伸びて、バイクが5km距離が短縮された。
その最初のスイムでは、半時計周りのコースで右回りにターンに慣れている私にはちと戸惑ってしまった。
同じコースのスイマーは筋骨隆々とした猛者ばかりで、私とハタ○カさんは場違いなコースであったような気がした。
クロールを練習して1年余りだったが、平泳ぎ専門の私にとってまだまだ練習不足なのを痛感した。
その後、トランジッションで着替えにもたついたが、ハタ○カさんより少し遅れてバイクのスタートができた。
その後すぐにハタ○カさんを捕らえ、さらに何人かを抜かして先へ先へと進んだ。
始めは緩い登りが2.5km続き、その後は残りの2.5kmは緩い下りのロケーションのよい周回コース。
そこを4周回の間に次々と選手を追い抜いていったが、さすがに最後の周回はとてもしんどかった。
ようやく到着して、最後のランを走ったが、バイクで踏ん張りすぎて100mくらい走ったところでふくらはぎが痙攣しそうになったので、スピードをかなり緩めて走った。
案の定、次々と逆に選手に抜かれたが、後半ようやくまともな走りになった。
で、いよいよゴールだと思ってテープを切ろうと思ったが、実は建物の周りをもう1周回しなければならないと気づき、ラストスパートしそこなった感じだった。
その最後のゴール直前に、まさか後ろにいると気づかなかったハタ○カさんに抜かれ、急いで追いつこうと思ったがあとの祭りだった。
で、1〜2秒差で負けてしまった。
今回は、前回よりタイムがよかったが、やはりスイムとランがいまいちだった。
風邪で直前に参加を断念したよっしーさんとハタ○カさんのフィアンセさん、どうも撮影のご協力と応援あろがとさんでした。
また、最後までのハイエースを運転したハタ○カさんお疲れ様でした。
とても充実した楽しい、今年初めてのトライアスロンだった。
10月4日
今日は、朝から曇りの比較的涼しい一日。
さて、これから長岡へトライアスロンに参加するためにこの日記はお預けにします。
というか、スポーツサイクルがよく売れる忙しい一日だった。
10月3日
今日は、朝から雨の比較的涼しい一日。
明後日はいよいよ今年初めてのトライアスロンの試合が長岡で開催される。
これまでフィットネスクラブでランとスイムの練習をして、水曜サイクリングや朝錬でバイクを乗って楽しんでいた結果が発表される日です。
バイクとスイムは割と自信があるが、やはりネックはラン。
この中で一番練習をしていなかったのがランで、まだ10km以上を走った事がなく、せいぜいで7km程度。
それも、スイムと自転車をこなした後なので尚更きつそうです。
コースは周回コースで、一箇所緩いアップダウンがある程度でそれ程きついコースではないが、私にとってその緩いアップダウンがきついのです。
前回参加した時と違うのは、スイムが250m伸びて、バイクが5km短縮された程度で全体的にあまり変わらないような気がする。
私にとっては、これの結果がどうこうではなくて、それによって有酸素運動ができて健康であることの方がメリットが大きい。
さらに、仕事が終わってからもちょっとした時間を利用して運動できたのもよかったのかもしれない。
健康でいる事は、入院して人様の厄介にならなくてもよく、仕事にも専念できる。
そのちょっとした有酸素運動をする時間は、病気をして無駄に費やす時間の事を考えれば短い短い。
その事を考慮してなのか、企業経営者の参加が多いのも納得できるような気がする。
10月2日
今日は、朝から曇りで午後から雨の蒸し暑い一日。
あのGMS、全国チェーン専門店、コンビニエンスストアはいったいこれからどうしようというのでしょうか。
イオンも金沢近辺には、GMSが4店舗、SMが2店舗もあるのに、これから野々市にSM1店舗と白山市にGMS1店舗の出店計画を立てている。
さらに、それに伴う専門店としてのイオンバイクももうすでに5店舗もあり、さらに2店舗増やす可能性がある。
それと同じように全国自転車チェーン店のサイクルベースあさひも3店舗もあり、おそらく白山市にも1店舗増やしそうです。
あのチェーン店のすき家もその拡大路線に人手が追いつかず、サービス残業のツケを払わされて閉店を余儀なくされている。
コンビニエンスストアに至っては、所かまわず空き地にどんどん店舗を増やして、もう市内近辺は完全に飽和状態。
一方、業績はというと、確かに店舗数を増やすとその分売り上げが上がるが、それも対前年比トータル100%ちょっとで、既存店に至っては、4月からの累計と8月単月の決算を見ても90%ちょいがいいところ。
いわゆるどんどん店舗数を増やさなければ売り上げが下がる構造になっている。
そのためには所かまわず、店舗数を増やすしかない。
それによって、一時期売り上げ日本一だったダイエーのように負債が膨らみ、完全に消滅してしまうのか危惧している。
あの昭和の時代のように、各商店街が活況を呈し、お互いに持ちつ持たれつの関係で成り立っていた頃が懐かしい。
その店で世間話をしたり、困り事相談所になったりして、気軽なコミュニケーションの場になっていた。
でも、それぞれの商店は、皆さんその道のプロで、長年培ってきた技術や経験で品質のよい商品や安全で新鮮な食材を提供してくれた。
10月1日
今日は、朝から晴れの清清しい一日。
朝一番に水曜サイクリングの集合場所である大手町ファミマに向かった。
集合場所には、中さんとみーさんが来られ、一緒に富山方面へと向かった。
県境越えで夕霧峠を登るつもりだったが、医王山山頂方面には深い霧がかかっていて雨模様だったので断念した。
で、いつものぬく森の郷方面へと向かった。
そこからは、福光街道へと降りて、さらに途中から小矢部IC方面へと向かった。
小矢部からは、いつもの伏木方面へと向かったが、トラックの交通量が多かったために一本入った尾根沿いの359号線を走り、途中から山越えで氷見方面へと向かった。
以前から興味のあった氷見駅の古い駅舎の横にある氷見キネマに入り、その風情のあるポスターを見入っていた。
その後、海岸線沿いに雨晴方面へと向かい、さらに伏木から新湊方面へと向かった。
新湊では、新湊曳山まつりが催されていて、海岸線沿いの道路には車がびっしり並んでいた。
その新湊港にある以前に入ったかもめ食堂が当分の間休業という張り紙が張られていたので、向かいにある女子部食堂に入った。
で、何か注文しようと思ったが、おばちゃんが刺身定食をしきりに薦めるので、全員そのメニューにした。
なるほど魚尽くしで、新鮮でとても美味しかった。
その後、湾にかかる新湊大橋をエレベーターと徒歩で渡り、帰りには渡船で戻ってきた。
風が強く、波が高かったので、かなり揺れていたが、景色もよく、ちょっとしたクルージング気分で乗っていた。
その後、新湊の街中を通り、伏木〜高岡〜小矢部へと走り、4時頃無事家路にたどり着いた。
走行距離は160kmにも達し、その後の紳士淑女の会ではとても美味しかったが、途中で寝てしまった。
とても充実したしゅばらしい一日だった。