2013年

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7月31日
今日は、朝から曇りで午後から雨の蒸し暑い一日。

その朝一番には、湯涌方面へサイクリングに出かけた。

何を思ったのか、湯涌温泉の手前の王道線を左折して、あのきつい坂を登り、見上げ峠へと向かった。

ここは何回か登った事があるが、あの水飲み場付近が一番勾配がきつて濡れているので、あまり重心を前に持っていくと、後輪が空回りしてしまう。

そのきつい勾配の坂を過ぎても、所々できつい坂があり、これでもかこれでもかと迫ってくる。

御影石採石場まで来ると、さすがにそこからは下り勾配もあって幾分楽になり、どうにか見上峠まで行き着く事ができた。

そこからは、湯涌方面の折谷町へと下り、湯涌温泉へ向かった。

元湯近くの階段には、あのアニメの中に出てくるようなぼんぼり祭りに使われるぼんぼりが並べられていた。

そこからは、まだ数回しか登った事のない旧江戸村や白雲楼ホテルのあった高尾山方面に向かった。

その旧廃墟あとを過ぎて、まだ登った事のない高尾山へと向かった

登るにつれて、どこまで続くんだろうと多少不安になりながら前へ前へと進んだ。

今にも熊が出てきそうな人気のない林道は、次第に路面も荒れてきて、不安が募るばかりだった。

ようやく、行き止まりになっている前高尾山登山口に到着した時はほっとした。

そこからは、一気に北陸大学前まで下り、再び太陽が丘方面に登り、さらに下って金沢大学キャンパス道路からサークルKで一旦朝食を取って家路に向かった。

家で少しくつろいだ後、いしかわ総合スポーツセンターへとママチャリで向かった。

そこでは、500mを平泳ぎで泳いだあと、クロールで100mを3本泳いだ。

タイムは、さすがに疲れていたのか100mあたり2分以上かかり、11分で500mを泳ぎきった。

クロールもほぼ同じタイムで泳げるのですが、まだ慣れていないのか100m毎に休憩しなければ泳ぎきれなかった。

でも、スピードはクロールの方が速くなる要素が大きいので、これからの課題にしましょうと言ってみた。

夕方には、DRYさんとセナタクさん、パンダくん、みーさん、ちかちゃん、みっちゃんと私の7名で一周1.15kmのコースをウォーミングアップも兼ねて6周回走った。

計測の5周回では、kmあたり5分30秒平均の今まで一番速く走ったので、さすが最周回は疲れきってしまった。

それよりも、私を周回遅れにさせたDRYさんと軽々私より速く走っていたちかちゃんには驚いた。

まあ、40年ぶりに本格的走っわたしにとっては、まあまあの走りだったと思ったが、かなりきつかった。

7月30日
今日は、朝から曇りで今にも雨が降ってきそうな蒸し暑い一日。

いよいよ今日、以前に一回だけ参加したトライアロンの申込要項を提出した。

トライアスロンは、自転車の分野として、ロードレース、クロスカントリー、ダウンヒル、シクロクロス、サイクリングなどと並んで重要項目の中の一つ。

ある同業者の社長が、とても苦しい時期にそれに参加し、見事にその困難を克服したのを思うと、世間の皆さん、悩み事があったら是非トライアスロンに挑戦してみませんか?

私も過去(20数年前)に一回しか参加した事がないほんの一初心者なのですが、それを始めて間もないのにもかかわらず、練習を通じて毎日がとても充実した生活を送れているような気がしてならない。

土日は自転車の朝練に参加し、水曜は晴れたらロングサイクリングで雨が降っていたらスイム、その他の平日は朝はランで仕事が終わってからはスイムをしている。

勿論、週に2日程は休息日を取り入れて、あまり無理をしないようにしている。

ランは、朝の30〜40分くらいで終わり、スイムも移動時間を入れても2時間ほどで終わってしまう。

自転車も、土日の朝だけの3時間程度で終わり、その他は水曜の休日に走り、仕事にも差し支えない。

さらに仕事への影響としては、ボ〜と無駄に過ごす時間が少なくなり、仕事もメリハリがついて効率よくこなす事ができる。

あんた、世間ではもう定年でご苦労さまと言われているのに、さらに過酷なスケジュールをこなす羽目になったが、毎日がとても充実して、ひょっとして運動と仕事それぞれに生きがいを見出しているのかもしれない。

勿論、夜には各イベントの打ち合わせという名目でお酒を呑みながらの交流もでき、これも仕事の一環ですよ言ってみた。

まあ、体が続く限り、今のままで生きていこうと思っています。

7月29日
今日は、朝から激しい雨が降る一日。

北陸、東北を除くすべての地域が1ヶ月以上前から梅雨明け宣言をしていたのに、全国至るところで豪雨の被害が頻発している。

いわゆる戻り梅雨と言われているが、四季がはっきりしなくなった事も影響してなのか、梅雨の時期も従来の時期と違ってきている。

さらに、その豪雨による被害も尋常じゃなくて、過去稀に見る集中豪雨の下、数箇所の地域で浸水、土砂崩れが発生している。

今日はその集中豪雨の地域が中国地方から北陸地方へと移り、小松市が梯川の警戒水域を超えたために、その流域の地域で避難勧告が発令された。

ひょっとしてこのような被害は、自然環境を無視して、わがもの顔で便利さを追求しすぎた人類への警告なのかもしれない。

特に、自動車の排気ガスによるCO2発生、エアコンなどの家電製品による排熱などは気温上昇の大きな要因となっている

物質文明からそろそろ脱却して、芸術、文化などの精神文明を築かなくてはならない時期に来ているのではないのかと思った。

7月28日(日)
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

朝一番には、朝練の集合場所である大手町ファミマに向かった

集合場所には、かっちゃんとめんさんの他は全員A練組が集合され、三小牛山から別所〜平栗〜坪野方面へと向かった。

勿論、坂からは、一番最後でヒーヒー言いながら必死に登り、あとを追いかけた。

別所からは、一度だけ逆方向を走った事のある平栗へのアップダウンのある林道を走ったが、かっちゃんとめんさん、ムラさん、おりたじさん、たっきーさんがその遅さを察知してくれて一緒に走ってくれた。

これでもか、これでもかという長い上り坂は、その激坂の途中から次第に足の疲労が麻痺していった。

平栗では既にひまわりの花は散っていたが、見物客か山菜採りらしき人がぽつり、ぽつりといらっしゃった。

そこからはさらに倉ケ岳方面に向かい、山菜&熊料理で有名な熊じろうの前を通り、獅子吼の坂を横切って鶴来の手前から降りてきた。

時間がなかったので、途中離脱した私とおりたじさんとかっちゃんの3人で巡航速度30km/hで走り、家路を急いだ。

何故私は坂が遅いのかというと、歳も関係しているが、昔から体が辛いサイクリングはあまり好きではなくて、平地での長い距離ばかり走っていたのが原因なのかもしれない。

早朝サイクリングにしても、以前は犀川河川敷沿いに県民海浜公園までの約17kmか、逆方向で父のお墓のある平和町から緑ヶ丘〜円光寺〜寺地〜工大前までの約20kmを走っていた。

さらに、時々は古き良き金沢の街並を堪能しつつ走った。

7月27日
今日は、朝から晴れの暑い一日。

今日は、近くの犀川河川敷で北國花火大会が開催された。

私は、毎年次男の高校野球部の父兄が集まる年一度のその花火大会を、向かいの大和公園にブルーシートを敷き、雑談しながら皆んなで鑑賞している。

今から10年前に、次男は、長男が入っていたこの野球部にどうしても入りたくてそこを受験した。

長男はエースピッチャーとして3年間をレギュラーで過ごしたが、次男は始めて導入された推薦組の優秀な部員が多かったので、2年時からでしかレギュラーになれなかった。

確かに、打線としては私立3強に劣らず、1番から9番まで切れ目のない強力打線だった。

その5番でサードが定位置になり、公式戦でほぼベスト4まで勝ち進むが、あと一歩のところであの私立3強の壁を打ち崩すことはできなかった。

練習試合でも、名門中京高校や県立岐阜商業、大阪産大高校などにも勝って勢いに乗っていたが、どうしても公式戦で百戦錬磨の私立3強には精神面で劣っていて勝てなかった。

その精神面の弱さは、この試合に勝てば北信越大会に出場できる試合で、7回にあと一点でコールドで勝てた試合を、弱気のピッチングやバッティングであれよあれよと点を取られて敗れてしまった。

やはり今年の野球部同様、経験豊富な私立3強の名門校にはどうしても勝つ事はできなかった。

その部員で、我が息子と同じ大学に進学して某高校の野球部の監督になったキャプテンが、世界野球のコーチとして選ばれたのには驚いた。

大学時代は、体育学群のコーチング学を学び、大学野球でも自らコーチングをされていた。

そこでの活躍お祈りします。

7月26日
今日は、朝から晴れの暑い一日。

その朝一番には、いつものように向かいの大和公園で5周回5.61kmを35分で走った。

いや、平均すると、1kmあたり6分14秒もかかってしまった。

ちょうど、スマートフォンのアプリでRunKeeperのGPSを使っているので、その数値はほぼ正確。

あまり速く走ると、衝撃で足の関節を痛めるので、この速度が限界なのかなぁと思った。

距離は5kmちょいなのですが、毎回のタイムを見て日々の進化に一喜一憂するのもイイもの。

自分の中の目指す目標に向かって走る続けるのは、自然の景色を見ながら走るサイクリングするのとは違った楽しみがある。

確かにこの年になると、足腰が若い時に比べるとすぐに疲れが溜まってくるが、その疲れを麻痺させるべく走る続けるとその疲れも次第に和らいでくるようだ。

でも、あまり無理をすると、ふとした仕草でぎっくり腰になって、3〜4日間動くことが出来なくなる。

だから、力仕事の時は慎重に、慎重に腰をかばわなければならない。

仕事が終わる時間にPKルームでツール・ド・おきなわの打ち合わせをしていると、突然i稲妻が至るところで光って、その直後、豪雨になり、あられやヒョウが降ってきた。

ちょうど、竜巻が発生する前兆で心配したが、次第に雨足が弱くなってきたのでホッとした。

中国では、日本以上の猛暑に見舞われたり、豪雨にあったりで散々のようだった。

いや、急激に工業が発展して、自動車が急増し、そこから出るCo2によって、異常気象となっているのは自業自得だと思った。

もし、中国が以前のように通勤が自転車中心で、公害のない手作り品を作っていた時代は、こういう世界規模の異常気象はなかった。

7月25日
今日は、朝から曇りの蒸し暑い一日。

今日は、心の内面についてちょこっと書いてみます。

人間誰でも、ある周期に?いや毎日にと言っていいくらいに不安が次々と襲ってくるものです。

特に、我々のように会社を経営している者にとっては尚更です。

それが数値に現れ、それを見てはこのままでいいのか?もっとやるべき事があるのではないのか?と毎日がその数値を見て一喜一憂する。

でも、ここで大切な事は、それを翌日まで持ち越さない事です。

次の日の朝目覚めて仕事の準備をしたあとは、全ての事を忘れ、自然と心の中から再び頑張る意欲が湧いてくるのが不思議です。

それは、ごく普通の日常的な仕事でも、昨日の事は忘れて、又新たに1から出直すような気分になって・・・・・・

そうこうして、早36年、毎日がその連続でした。

例えば、その一日でも落胆して、仕事を放棄したならば、それで私という人間は終わってしまったのかもしれない。

さらに大切な事は、ひとりで悶々とそれについて悩むのではなくて、心の通じ合った相手と屈託のない話をする事によってもそれが解消される。

酒を酌み交わしても良し、一緒にサイクリングしても良し、いやただ座ってずっと話しているのも良しといろいろな形で話し合えばイイ。

さらに、最近始めたトライアスロンは、一週間規則正しい運動することによって、それに関するストレスも解消され、体が健康になると共に心も健康になってくるような気がしてならない。

さあて、今から30分ほどランを始めよっかなぁと言ってみた。

7月24日
今日は、朝から雨の蒸し暑い一日。

さて、この雨でどうしようかと迷った挙句に、まずはシニア割引で1000円で観れる映画館に行こうと思った。

勿論、以前から観たいと思っていた私の好きな作家の東野圭吾の”真夏の方程式”

上映時間も朝早い9時20分からで、午前中で観終えるのでちょうどよかった。

内容は詳しく書けないが、あの少年時代という私の好きな映画を彷彿させるような手つかずの美しい海がある架空の玻璃が浦という漁師町の一民宿が舞台。

そこで出会った少年とその民宿の訳あり家族とのある殺人事件にまつわるお話。

この中で、10年前に振られた相手に果たして殺人の身代わりになってまでその愛が持続する人がいるだろうか?

そうでなければ、それ以上にそうさせる相手とはいったい誰なのか?が今回の事件解決のキーポイントだった。

事件の巧みな展開も見所なのですが、それ以上に湯川教授と少年の心からの触れ合いの方が見応えがあった。

ふと、あの懐かしい忘れかけていた人間模様に触れられたのもよかったと思った。

その後、帰って早速、家の前の大和公園で5周回の5.75kmを走った。

スマートフォンでアプリとしてのRunKeeperをインストールして使ったが、アクティビティが途中で中止になったりして正確なデーターが取れなかった。

でも、正確なデーターとしては平均速度が残り、それを見る限り少し目標に少し近づいてきた。

その後、犀川河川敷の自転車道を通って、金石港〜大野港へと向かい、往復約27kmを1時間くらいで走り終えた。

実際のコースも殆どが平地で、練習にはちょうどよかった。

7月23日
今日は、朝から曇りの蒸し暑い一日。

ちょうど梅雨前線が新潟沖にかかっていて、今にも雨が降る気配だったが、蓋を開けてみると雨は全く降らなかった。

それが幸いしたのか、今日の金沢桜丘高校と星稜高校の試合が予定通り行なわれた。

まず序盤は、桜丘高校が優勢で、ホームランによって1点先制した。

ここで一気に畳み掛ければ勝機があったが、ここ一番の時に一本が出ず、ズルズルっと点が取れないまま回が進んだ。

その間、少しづつ相手ピッチャーが調子付き、打線も少しづつ火がついてきた。

これは過去のベスト8から4にかけての鬼門で、相手が私立3強の星稜、金沢、遊学館と対戦した時に必ずこういうパターンで敗れていた。

多分監督も選手も、ここ一番の時に冷静さを失い、力が入って力み過ぎたのではないかと思う。

次男のベスト4からの試合を何回か観ても、先制してさらなるチャンスが巡ってきても、ここ一番の肝心な時に力みすぎて一本が出ず、そのままずるずるといって敗れてしまう。

逆に、相手が先制して突き放されると、弱気のサインが出て、ここで打たないと負けてしまうという焦りで攻撃も雑になってしまう。

正統派の正面から立ち向かって行く攻撃だけでは、あるレベルまで勝ち越してくると、それではなかなか勝利に結びつかないので、相手の嫌がる奇策も取り入れなければ、練習量の豊富な私立伝統校には勝てないような気がした。

毎回先制打を放って塁を埋めるが、ここ一番の時には自分が打ってやろうと気持ちばかりが先行して冷静さを失い、大振りになって三振かフライになってしまう。

こういう時こそ、物事に動じない強い心を持った選手が居れば、突き放す事ができたのにと思うことが何回もあった。

兎に角、ここ一番が出れば勝てた試合だけに惜しかった。

7月22日
今日は、朝から曇りの気温が高くて蒸し暑い一日。

その朝一番に向かいの大和公園でいつものように5周回で5750mを走った。

ちと、腰に違和感があったので、あえて最終回のダッシュを行わずにジョギング感覚で走った。

すると疲労感は殆どなくて、あの気持ちよくなるアドレナリン?が脳から降りてくる感覚になり、とても楽しく走ることができた。

夜には、みやじぃとセナタクさん、パンダくん、ちかちゃんと私の5人でいしかわ総合スポーツセンターに集合して、水泳の練習会を始めた。

みやじぃは相変わらず、力を抜いて淡々と泳ぎ、ちかちゃんは、私と同様、元水泳部だけあって泳ぎ方が板についていた。

セナタクさんは、もう少し頑張れば100mは連続して泳げそうなのですが、パンダくんは、クロールが専門種目だったかっちゃんかちかちゃんにでも一から指導してもらった方がいいような気がした。

今日は、皆さんの泳ぎ方を見るために、あえてロングを淡々と泳ぐのではなくてダッシュで50mか100mを泳ぎ、その後、休憩しながら各自の泳ぎを見守っていた。

このように距離を区切ってインターバルトレーニングすると、終わるたびに疲れがどっと出て、あのロングで味わうような気持ちよさはなくなる。

でも、速くなりたいのなら、そのようなトレーニングも取り入れていかなければならないと思った。

その事は、早朝に走ったランでも言える事で、それらを交互にトレーニングするのが一番効果があるようです。

で、もう一つ問題なのは、本番でブレストにするか、クロールにするかの問題です。

今のところ、私の専門種目であったブレストの方があっているような気がする。

7月21日(日)
今日は、朝から晴れの昨日とは打って変わって蒸し暑い一日。

昨日のお祝いの会で遅くまで呑んでいたので、珍しく7時頃まで目が覚めなかった。

それからは外の気温と湿度が徐々に高くなり、とても暑苦しい一日となった。

天気予報を見ると、なんとここ一週間は再び梅雨空になり、連日雨模様になるようです。

ツール・ド・フランスも最終ステージで、私はほとんど見ていなかったが、優勝と準優勝はピナレロに乗ったスカイプロサイクリングのクリス・フルームとモビスターチームのナイロ・クインターナだったようだ。

アメリカメーカーが、我々にきついノルマを課してまでも自らのロードの良さをアピールしているが、結局はロードの最高の舞台であるツール・ド・フランスで結果を出せなかった事はちと思い上がりがあるのではないかと思った。

結局は、イタリアの最王手のピナレロのバイクが1、2フィニシュでゴールした事は、やはりロード王国のヨーロッパのイタリアならではの快挙だった。

多少造りはアバウトなのですが、長年の伝統のあるヨーロッパのロード文化には、MTBが起源のアメリカがどんなハイテクノロジーをアピールしても及ばないところがあるのではないか。

昼過ぎには、高校野球の因縁の対決である金沢桜丘高校と金沢泉丘高校の3回戦があった。

テレビ中継はされていなかったが、野球小僧ハロー君でその経過を見守っていた。

次男がそれまでの大会でずっとベスト4まで進み、この大会が最後の試合の2回戦で泉丘と対戦して一点差で負けた因縁の対決でもあったが、今回は、6対2の大差で勝ったことはとても嬉しかった。

この泉丘のピッチャーは、その後、慶応に進学して、6大学野球の公式戦にも出場していた。

7月20日
今日は、朝から晴れのからっっとした暑さの一日。

私は、Facebookの毎日祝日という言葉をとても楽しみに見ている。

本田宗一郎、松下幸之助、イチロウ、長嶋茂雄などの伝説の人やビートたけし、タモリなどの有名な芸能人の言葉を読むにその真意が何となくこの年になると少しわかってきた様な気がする。

例えば、最近のを書くとイチローの”小さいことを積み重ねることが、とんでもなところへ行くただひとつの道だと思っています”という言葉について私なりにちょこっと書いてみます。

あるひとつの夢に向かって、希望を持ってこつこつと諦めずに努力をしている人は、いつかはまわりから見るととんでもない人になって見えてくる。

さらに、手塚治虫の”人を信じよ。しかし、その百倍、自らを信じよ”については、人のどんな忠告よりも、自分の確固した信念の方がずっとそれを成し得るのに効果がある。

んん、んん何となくわかるような気がする。

さらに、ある人の言葉で、”目の前にあるどんな困難な問題も、心の見方をちょこっと変えてみると、意外とスムーズに解決してくれる”

ああ、これは私の言葉でした。

夜には、私とわっしーくんとまっきーさんの誕生会をPK仲間で祝っていただいた。

素敵なプレゼントや美味しい料理やケーキ、本当にありがとうございました。

多分、私にとってのひとつの区切りである一生に一度しかない還暦の日お祝いは、生涯忘れない事と思っています。

7月19日
今日は、朝から晴れの比較的涼しい一日。

今日は、私にとってひとつの人生の区切りの日。

というのは、世間で言う還暦で定年を迎える日なのです。

振り返ってみると、大学卒業して間もなく父親が亡くなり、兎にも角にも地元の戻り、私にって一番嫌いな接客業を右も左もわからないまま継ぐことになった。

パンク直しなんてした事はなく、勿論、自転車の自の字もわからないままひとりで見よう見まねに始めた。

当時のいわゆる商業型メーカー車は、フレームだけの状態からスポークもバラバラの状態から組立、チェーン、ハンドル、ブレーキと順番に組み立ててようやく完成する。

今考えると、誰にも教わる事なく、試行錯誤でよく組み立てたなぁと自分なりに感心した。

修理にしても、パンクを直してしばらくすると、血相を変えた強面の方が「直ってないやねえけー」とよく怒鳴り込んできたものだった。

この当時は、半分くらい父親の代の馴染みのつけのお客さんで、月末に請求書を配り、翌月の10日に集金に行くというパターンだった。

勿論、全てが回収出来る訳でもなくて、1割ほどが払ってもらえない、いわゆる貸し倒れにあっていた。

その最後のチャンスである年末回収のために、除夜の鐘が鳴る雪がしんしんと降っている中、何件かの支払いの悪いお客さんの集金に行ったが、殆どがお金が無いとの事で集金できない時は、呆然としながら途方に暮れて帰ってきたものだった。

やーさんの息子に売った15万円程のバイクを何回も足を運び集金に行ったが、とうとう一銭も回収できなかった時は参ってしまった。

挙句の果て、覚せい剤を打って麻薬取締で逮捕され、刑務所に入って、ジ・エンドだった。

又、色々な面で協力してもらえると思っていた同業他社の同じ分区の組合員の自転車屋さんに、お前の店の修理代が安いという理由で、組合の寄り合いでよく怒鳴られたものだった。

さらに、ここでは言えない人生最大のピンチに合った時はどうしようかと一人悶々と悩んだ時期もあった。

さらに、色々な出来事があったのを振り返って見ると、波乱万丈の日々の連続だったなぁと思った。

てな事で、この60年間を振り返ってみた。

7月18日
今日は、曇りで時々スコールのような雨が降る蒸し暑い一日。

我ブリヂストンサイクル館もようやく夏休みに近づいてきたのか、次第に活況を呈し始めて忙しくなった。

ここで一般車についてちょこっと書いてみます。

以前は殆どの一般車はMade in Japanで、その中にブリヂストンやパナソニックの工業型メーカーと今は倒産して無きデキやヨコタなどのいわゆる商業型メーカーがあった。

前者の品質は申し分なく、それに使われている部品も殆どが国産で各メーカーが品質と開発力に磨きをかけていた。

後者は、同じく国産車ですが、その殆どはデザイン、技術共々工業型メーカーの猿真似の自転車が多かったが、品質だけは今の安物(商業型メーカー)に比べると雲泥の差でよかった。

それが今では、ブリヂストンを除くすべてのメーカーは品質が悪くて、以前の国産の安物以下の自転車ばかり。

勿論、今話題の大手チェーン店などの一般車も同じく品質は最悪で、ペラペラなタイヤですぐにパンクし、雨に何日か濡らすとすぐに錆びてしまう。

見た目は新車でピカピカしているが、それが1年経つと無残な姿になっている。

その事は、我々のような昔からいろいろな自転車の修理をしている人間が一番判っている。

以前の国産タイヤは、ツルツルになるまでの2〜3年は十分に使え、今のブリヂストン以外のタイヤのようなすぐにひび割れする事がなかった。

勿論、ブリヂストンでも、以前の国産車に比べると、値段が安くなったのもあって品質が悪くなった。

それ以下のメーカーの自転車は、我々に言わすと、スポーツサイクルを除き、自転車と言える代物ではない。

ああ、あの時代のような品質、開発力、デザインにこだわった夢のある一般車が復活しないかと思う今日この頃だった。

7月17日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

その朝一番の6時過ぎに富山方面にロングランに出かけた。

朝方は涼しくて気持ちよかったのですが、時間が経つにつれて次第に気温が高くなり、汗が吹き出るくらいになった。

どうも一週間前に乗って以来乗れなかったので、始めは坂道を漕ぐのに違和感を感じた。

というのは、ここ一週間は一日30分あまり向かいの大和公園でランをしていたが、使う筋肉が違うためか自転車にはあまり効果がなかった。

温泉があるぬく森の郷で少し休憩して、福光方面に降りる途中の立山連峰の山裾が雲に覆われている姿はとても神秘的だった。

そこからはほぼ平地の中を砺波方面に向かった。

通勤ラッシュ時で車の数は多かったが、それほど走るのに支障なかった。

でも兎に角、気温がどんどん上がってきたので、喉が乾き、コンビニ毎に飲料水を買った。

多分、走り終えるまでには5L以上飲んだような気がする。

さらに、この暑さに耐え切れずにソフトクリーム2個も食べてしまった。

始めは甘味のあるスポーツドリンクを飲んでいたが、口の中が甘味でいっぱいになったので、途中で自然水に変えた。

勿論、その甘味で歯が少し痛くなったので、やばいと思い切り替えたのもあった。

砺波から庄川に出たところから、川沿いを下り、大門から小杉の太閤山ランド方面に向かい、ようやく神通川を渡って富山市内に到着した。

そこからは市内を散策し、特に南富山の路面電車の駅舎がレトロ風で、その周りのお店も古めかしく、あの昭和の時代の味わいのある風景に酔いしれた。

さらに、富山駅向かいのシネマ食堂街は、あの金沢の新天地のような昔風情の情感が漂っていた。

そこからは、富山駅の西口から神通川を渡って、新港方面に向かった。

途中、海王丸パーク付近の新湊大橋をエレベーターで上り、橋を歩いて海王丸方面で再び降りた。

欲を言えば、以前に乗った渡し舟にも乗りたかった。

そこからは、新湊の街に向かい、途中にあるお寿司屋さんの海鮮丼を食べて英気を養った。

魚は新鮮で、食べるととても美味しかった。

そこからは、氷見方面から小矢部方面へと向かったが、あの34℃の暑さでへばりながら、どうにか家路にたどり着くことができた。

走行距離はなんと、この暑さの中を160km近くにも走ってしまった。

でも、とても楽しい一日でもあった。

7月16日
今日は、朝から晴れの比較的涼しい一日。

さて、ボーナス時期で店は忙しく、バタバタしているここ数日。

昨日に引き続き、今度は読書感想文じゃなくて、たまたま昨日観たBSプレミアムで放映されていた私の大好きな映画の”男はつらいよ”について書いてみます。

この映画は、まだ幼少の頃から映画館や今は無き卯辰山にあったヘルスセンターでよく観ていた。

どうも、あの当時の下町風の人情味溢れた昭和の時代の舞台にマッチして共感を覚えたのかもしれません。

今回のマドンナ役の若尾文子は、当時の池内淳子と並び昭和の代表的な美女で当時の男連中は皆さん憧れていた。

まだ初期の寅さんシリーズの6作目で、寅さん役の渥美清や妹役の倍賞千恵子もまだ若々しかった。

ストーリーは、ごく一般的な寅さんパターンで、久しぶりに葛飾柴又のおいちゃんの家に帰って来たのだが、いつものようにひと悶着あって、喧嘩別れで帰ろうとした所へマドンナ役の若尾文子が登場して、帰るのを撤回したというパターン。

その前のエンディングでは、なんと若かりし頃のどこかで見たような女優の宮本信子が、子連れのホステス役でふるさとへ帰る途中に寅さんと出会った場面が登場したのには驚いた。

さらに、そのホステスのふるさとのお父さん役に、今は無き大御所の森繁 久彌がさりげなく登場しているのにも驚いた。

結局は、別れようとした旦那が迎えに来て、ジ・エンドといういつものパターで幕が閉じた。

いや、昭和の時代を彷彿させるようなあの人情味あふれる、何を言っても気兼ねしない下町の人情味あふれる雰囲気がたまりませんね。

という訳で、そろそろこの辺でお開きにしますかと寅さんが言っていた。

7月15日
今日は、朝から曇りの比較的涼しい一日。

わー、まだ半分しか読んでいない”永遠の0”についてちょこっと書いてみた。

その中で、航空兵に志願した零戦操縦のプロについてですが、特攻隊と呼ばれた人とはちょっと違った考え方の持ち主で、その操縦技術は天下一品で、何故かお国の為と散っていった特攻隊とは違い、どんな事があっても相手の襲撃を交わして帰還する事を第一に考えていた。

勿論、相手の銃砲に当たると一巻の終わりで、危なければどのような状況下においても逃げて来るのをモットーとしていた。

よく考えると、行きの燃料だけで相手の戦艦に突入するという意気込みはわかるが、それですべてが終わり、それによって日本軍が勝利するわけでもない。

彼のように、慎重に相手の銃撃機を倒し、危なかったら逃げてでも帰ってくる方法は一番理にかなっていて、そうすれば再び出撃できて、何回も相手倒す事ができる。

その為には、零戦も傷まないようにあまり無理をしないで操縦をして、整備兵の負担をできるだけ少なくした。

零戦は優秀ゆえ、繊細な乗り物で、無理をするとそれが原因ですぐに壊れてしまう。

終戦に近づいて次第に物が少なくなってくると、粗悪品の部品で補修されるために、優秀なパイロットはそれをすぐに見抜き、その事を整備兵に告げる。

ちょうど、安物の自転車と同じ部品構成で、1年経つと至るところが錆だらけになり、薄っぺらいタイヤの為にすぐパンクするのと変わらない。

やはり、資源の豊富なアメリカに所詮戦争では敵わない事を見抜いた人も多かっただろうに、あのような悲惨な結果にした陸軍大将の戦果への判断が間違っていたように思う。

7月14日(日)
今日は、朝から雨で、9時過ぎから晴れの蒸し暑い一日。

その朝一番に、向かいの大和公園でランの練習をした。

この日は5周回5750mを走ったが、最終周はなんと1150mを5分を切って走る事ができた。

勿論、最終周だけですが、足の重さも軽減でき、おニューのシューズで足にあまり衝撃がかからず、靴底がバネ形状で飛び跳ねるような感覚で自然に前へ出て、スピードが若干速くなったように感じた。

さて、早朝に当店のホームページを更新しようと思って、週末からの売り出しを書き込み、サーバーへファイルの更新をすると、なんと文字化けしているではありませんか?

その原因を調べるに、何らかの形でShift_JISがEUC-JPに置き換わったのかもしれません。

誰かがWebサイトに入り込んで書き換えたのか、それ以外の原因で文字化けしていたのかはわかりません。

昼休みの時間を利用して、温泉ライダーへの応援に行こうとしたが、その原因処理に時間がかかったり、店が忙しいのもあって顔を出す事すらできなかった。

天気予報では、この3連休はずっと雨の予報だったが、夜中や早朝以外はほとんど雨が降らなかった。

温泉ライダーもその好天の中を雨に当たらずに走る事ができて良かったと思った。

7月は当店にとって、春先の次いで忙しく、この期間のイベントの参加は物理的には無理です。

やはり、盆休みか10月以降にならないと定休日や早朝以外のイベントへの参加はできない状況です。

7月13日
今日は、朝から雨の蒸し暑い一日。

この日記もブログみたいに、画像あり、コメント有りにすればもう少し読みやすくなるのですが、その為には時間を要するので、短い時間で書き上げるにはこの方法しかない。

さらにコメントの返事も書かなくてはならなく、10年も毎日、とてもじゃないけれど続けられない。

多分、書き続けているのは、それを楽しみにしておられるほんの何人かの読者だけで十分です。

商売上の日記だと売り出しや新製品、売れ筋商品の紹介が主な内容になるが、私はその事より私自身を理解してもらうために書いているのかもしれない。

いや、日頃の考え方や行動、さらに趣味としてのサイクリングとそのサイクリング仲間についてなど直接商売上につながる内容は少ない。

でも、たまに日記の内容についてちらっと言われる方がおられるが、それを聞くたびにまだまだ書き続けなければと思ってしまう。

mixiやFacebookなどのソーシャルネットワークが発達し、イベントの告知やコミュニケーションはそれで十分で、さらに新製品や売れ筋商品もいろいろなサイトで紹介されている。

なんていうのでしょうね、この日記を書いて、私の心の共感者を求めているのかもしれない。

この日記でも何回も書いていますが、1対1の会話こそ真のコミュニケーションだと思っているのは私だけなのか?

私も幸い、来客頻度がスポーツサイクル館よりずっと少ないブリヂストンサイクル館で店番をしているので、いつでもお話できますよと言ってみた。

そういえば、10数年前まで私とひと回り違う某取引先の社長といろいろ個人的に付き合っていたが、仕事の面だけではなくて、個人的にもいろいろとお世話になり、昔気質のなんでも相談に乗ってくれる、心の安らぎを与えてくれるとてもいい方だった。

そういう年配の昔気質の骨のある人が次第に数なくなってきているのがとても残念です。

7月12日
今日は、朝から晴れの昨日に引き続き暑い一日。

さて、朝一番に向かいの大和公園でランをしていたが、5週目の最終回に少し練習の成果が見え隠れした。

というのは、始めの4周回に比べて明らかにスピードが違ってきたからです。

タイムも1kmあたり5分を切り、足の痛みも殆どなく走れた。

そういえば、少年時代にどれだけ走っても疲れない感覚がほんのわずかに蘇ってきたような気がした。

でも、その間のブランクが45年くらいだったが、足が覚えていてくれたような気がする。

それと同時に、水泳も死ぬまで泳ぐ感覚が頭の中で蘇ってきた。

兎に角、頭を使う事が苦手で、いつも体を動かして遊んでいた少年時代の感覚がほんのわずかに味わえたのは収穫です。

遊びっていいものですね。

心から楽しめ、一日中そうしていても苦にならなく、勿論、疲れなんてひとつも感じさせない。

この競技に再び挑戦し、その感覚がほんの僅かにも戻ってきた事がとても嬉しく感じた。

もう25年以上前にトライアスロンに挑戦して完走したのですが、その時たまたま自転車の途中で蜂がメガネのこめかみ部分に入り込み、刺されて、顔がお岩さんのようになったのをきっかけに辞めて以来の挑戦だった。

水泳も中学時代の当時はブレストで100mを1分20秒を切って優勝した事もあったのですが、今は頑張って泳いでも2分はかかってしまう。

それよりもクロールで泳ぎたいのですが、50mのタイムはブレストとほとんど同じで、その疲れ方がまるっきり違う。

でも行く行くは、クロールで泳がなければと思っています。

午後からは、配達の途中でランシューズを買ってきたのですが、軽くて柔軟性のある裸足感覚のシューズがいいのか、多少重くても衝撃吸収性のいいシューズがいいのか散々迷った挙句に、初心者向けの後者の方をを選んだ。

確かに、足裏に疲労を感じさせないバネ形状の飛び跳ねるようなシューズを選んだのですが、さて履いてみて実際に走ってどうなのか楽しみです。

あのだいやらを夢中にさせたトライアスロン、やってみたい方はこそっと相談してみてください。

7月11日
今日は、朝から晴れの昨日とは打って変わっての蒸し暑い一日。

どうもこの頃仕事の事についてあまり自信がなくなってきた。

若い頃は、全ての作業を自分でこなしてそれに没頭できたが、どうもこの年になると、周りからのいろいろな指摘が多くなり、自分流の仕事ができなくなってきている。

もうそろそろ限度かなぁと思うと共にその身の振り方についていろいろ考えてみなけれなならない。

まあ、私がブリヂストンサイクル館で店番するのはいいのですが、そうするとスポーツサイクルについての技術や情報の入手が困難になり、そこへの参加がしづらくなります。

世の中において昔からの定年が60歳になっているので、もうそろそろ引退してもいいのかなぁと思ったりもします。

これがスポーツ界での引退宣言をする時の心境と同じなのか?

どんなに一生懸命に打ち込んでいても、その作業には年による体力や気力の衰えは隠しきれず、このまま作業をしていてもいいものかどうか悩んでしまう。

長年の経験はものの見事に打ち砕かれ、あとわずかに迫ってきている世間で言う定年までが限界なのかなぁと思う今日この頃です。

私も最先端のDi2を装着したロードを自分で組立、整備して毎日のように乗っているが、殆どトラブルもなく、もし有ってもすぐにその場で直してしまうので何の問題もない。

やはりお金がかかっても、まだまだ最先端の新しいメカや用品を積極的に使い、その技術を磨くべきなのかと思ってしまう。

そのひとつのきっかけとして、この7月という忙しい時期が過ぎたら、これから参加しようとしているトライアスロンのバイクについて本格的に打ち込んでいきます。

多分、これが私の社長としての最後の大きな仕事になるような気がする。

その作業場として、ブリヂストンサイクル館になんらかのメカニックルームを設置しようと思っています。

やはりそうなると、やはりあの暑い西日の当たる風洞室なのかなぁ・・・・・

と、いろいろ考えさせられる今日一日だった。

7月10日
今日は、朝から晴れの比較的涼しい一日。

その朝一番に、マルコさんとくるみさんが当店に集合され、ちょこっと遅れたみっちゃんを迎えに行った。

そこから海環で一気に鶴来まで向かった。

私はあまり車に乗る事がないので、海環がどのように繋がっていて鶴来方面に行くのかわからなかった。

なんと理屈な、あの白山インターICからさらに南へ向かうと、鶴来街道に合流するのには驚いた。

その鶴来の道の駅に車を停めて、いざ白峰方面目指して手取川沿いに只ひたすら走った。

ちょうど鶴来は雨上がりの雲が垂れこめていたので、直射日光を遮ってくれてとても涼しく走る事ができた。

さらに、瀬女からの何箇所もあるトンネルの中は、路面がまだ濡れていて、冷っとしてとても気持ちよく走れた。

ちょこっとダンプが通る時はさすがに怖かったが、それを打ち消すくらい涼しい冷気に浸れた。

ちょうど手取りダムにさしかかると、くるみさんがパンクしたので、即効で直した。

いやはや、駐車場には1台の車が停まっていて、その中で数人の若い男女が上半身裸で何やらゴソゴソとしていたのには驚いた。

そこからいくつかのトンネルを通って、ようやく白峰にたどり着いた。

此処から勝山までは何回も走った事があるが、市ノ瀬〜別当出合方面に向かうのは始めてだった。

その手取川沿いを只ひたすら白山登山口方面へと登って行った。

でも、くるみさんが1時30分までに帰らなければならなかったので、市ノ瀬野営場前で折り返した。

その下りは周りの景色も素晴らしく、風も心地よい涼しさで最高のダウンヒル?だった。

ちょうど白峰の分岐点で、鶴来にある”りんどう”という鮎料理の店に若かりし頃にアルバイトしていたくるみさんが予約の電話をかけた。

それがなんと、12時20分に予約したのですが、ぴったりその時間に到着したのには驚いた。

その時間に合わせて猛スピードで突っ走ったのは、なんとみっちゃんだった。

あの鮎の苦味がとても美味しく、さすが鮎料理の老舗だと思った。

私はビールを呑んでしまったので、代わりにノンアルコールを呑んでいたマルコさんに運転してもらった。

家に到着してからは、そのままのジャージ姿でテルメ金沢に向かい、湯船3回、サウナ3回入って英気を養った。

とても有意義で楽しく充実した一日だった。

7月9日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

この異常な暑さは、地球温暖化の一現象で、その他にも最近は以前にはなかったような異常気象が頻繁に発生している。

確かに、毎日熱中症によって死者が数人出ているのは異常としか言いようがない。

その中でも、全国一暑い39℃にもなった山梨県の勝沼は、私の娘の旦那の実家で、桃農家を営んでいて、この暑さによるご両親の体調が心配です。

ちょうど甲府盆地の真ん中にあり、周りは富士山などの山々に囲まれていて一見涼しそうなのですが、逆にその山々によって熱がこもり、このような高温にさらされる。

この地には、フルーツ公園と言う高台があり、その頂上付近にはほったらかし温泉やぶくぶくの湯があり、そのぶくぶくの湯から見える富士山は最高で、一日中浸っていたい気持ちになる。

まだほったらかし温泉には入った事がないが、日の出前の朝日に映えるあっちの湯から見える霊峰富士山はとても感動的だそうです。

究極の楽しみ方は、海抜700mの頂上目指してロードで登り、ほったらかし温泉に夜明け前に入り、その富士山からの日の出を露天風呂から眺め、夜には車で登り、その夜空が天井と謳われる夜景を見ながら再び露天風呂に入るのは最高の過ごし方のような気がする。

いつか我サイクリング仲間で一緒に行ってみませんか?と言ってみた。



7月8日
今日は、朝から晴れのとても蒸し暑い一日。

昨日の日記の続きではないが、私の少年時代についてちょこっと書いてみます。

あの3丁目の夕日じゃないが、ちょうどあの時代を過ごした時期。

なにしろ、その映画のとおり、毎日夜遅くまで近くの悪ガキと遊ぶのが至上の喜びを感じていた。

近くの用水に入り、鉄屑を取って、家の向かいにあった鉄屑屋さんに売って数十円もらいアイスキャンディを食べたり、今は無き、駅裏の無人倉庫の中に潜入し、秘密基地として悪ガキと遊んだり、石投げ遊びと言って、その石が入った場所に書いてあるどんなことでも実行しなければならなく、ある日、大和でチューンガムを盗む事と書いてあり、それを実行して後日それがバレて、親と共に警察に呼び出された。

さらに、雪深い日に、近くの石炭山のすぐそばにあるコールタール池に間違って入り、既のところで沈んでいく直前にどうにか這い上がり、命拾いをして家に帰ったが、家には誰もいなくて、さらに運悪く鍵がかかっていたので、その真っ黒なコールタールをかぶった体で2階の空いている窓から潜入すると、数時間後に誰かの通報で警察が来て、泥棒と間違えられた。

その他の遊びとしては、BB弾を悪ガキの背中にいれ、爆発させて遊んだり、オーソドックスにめんこやベーゴマ、ビー玉でもよく遊んだ。

又、肉弾という遊びがあり、砂の上で書かれた両陣地があり、そこから相手陣地に向かって進軍していくのだが、その道中はそれを阻止する相手の体当たりの反撃を交わし、その相手陣地に入ると勝ちという遊びもとても面白かった。

勿論、喧嘩は日常茶飯事で、今のような集団暴行ではなくて、1対1の男の戦いで、小学校では、その事でよく職員室で先生に呼び出された。

その時はスポーツ万能で、足が速く、黒ふんどしをした小学校の相撲大会で優勝し、水泳も校下で一番速かったので中学校では水泳部に入った。

その水泳部がまたひどいもので、監督の先生は空手の段持ちで練習をサボると、部室で足蹴りにされ、周りは赤い血が至るところで滲んでいた。

その時に殴られて辞めたのが、地元では有名な某上場企業の鉄工所の社長だった。

でもその監督は、全国で2位と3位の先輩の選手を育てたのだから仕方がないのかと思っていた。

また、先輩の部員も何人かはヤクザ屋さんになった悪ガキで、水泳部の恒例行事として、校内の悪ガキを一人一人教室に連れて、歯を食いしばれ的な暴行を繰り返していた。

という風に、遊び、部活には何不自由しなかった少年時代がとても懐かしかった。

7月7日
今日は、朝から雨の蒸し暑い一日。

そのちょこっとした早朝の晴れ間に、向かいの大和公園で一周1150mの周回コースを3週回した。

足の筋肉痛は取れていたが、昨日の朝練の疲れが残っていたのか、足がとても重く感じながら走った。

中学時代に水泳をしていた頃は、短距離、長距離とも速く、校内のマラソン大会でいつも優勝していたのに、この長い年月と走らなかった事が祟り、足を上げる事さえままならない不甲斐なさに
愕然とした。

やはりあの出身高校に全国レベルの水泳部飛込み部門はあったが、競泳はなかったのが運動から遠ざかっていった原因なのかもしれない。

突然話は変わりますが、今読んでいる小説の中で、ゼロ戦の達人の話が出てくるが、やはり一流と言われる人たちは、常日頃、練習すなわち訓練を怠らないのがその腕を磨くのに大いに貢献している。

それはいわゆる今でいう官僚と言われる士官学校出身のキャリア組とは違って、下からの叩き上げの下級士官のゼロ戦操縦のノンキャリア組の日頃のたゆまぬ努力がその戦果に大いに貢献し、キャリア組の威張り腐った頭でっかちの脳内空想のエリートたちの見当違いの指示が多くの犠牲者を呼んだ。

午前中には、この雨の中、入江(町)さんと2号さん、たっきーさん、くるみさん、みっちゃんが当店に集合され、津幡方面にサイクリングに出かけられた。

その後、何回か雨に当たったようですが、この暑さで逆に心地よい涼しさを感じたようです。

そういえば、若い頃は多少の雨でもへっちゃらで自転車に乗ったが、最近は雨が降ると出るのがついつい億劫になってしまう。

その若い頃の行動は、あの少年時代にどんな過酷な環境下でも夜遅くまで遊びに出かけて、自然とそれに耐えうるだけの体力を身につけていた。

今はその頃の体力と気力は消え失せ、只只、趣味としての自転車を乗っているだけです。

7月6日
今日は、朝から30℃越えの蒸し暑い一日。

まず起きると、昨日呑み会があったこともあって、体がジトッとなるような暑さと湿気で朝のあの爽快感は完全に失われていた。

でも、眠い中、mixiに朝練の案内を書き込んだ手前、眠い目を擦りながら、集合場所の大手町ファミマへと向かった。

集合場所にはなんと、この湿気の中、10数人のメンバーが集合されていた。

さらに、お見送りにはなんと、スカート姿ででロードに乗ったかっちゃんが来られたのには驚いた。

皆さん、一斉にこの暑くて湿気のある異常な気象条件に不快感を感じておられたように思った。

でも、走ると意外とそうでもなくて、やはり風切って走る自転車は最高の乗り物なのを改めて認識した。

浅野川沿いから鈴見〜金沢大学キャンパス道路〜ごみ捨て場と通り、田島〜釣部〜不室の林道を通り、直江谷へと降りた。

その途中で、ちかちゃんの自転車が異音が出るというので、すぐにその場で直して、その先石名坂からあじさい寺〜メープルハウスまでちかちゃんのロードに乗って走った。

そうするとなんと、坂で皆さんに置いていかれるやらでかなり必死にあとを付いていった。

途中寄ったあじさい寺には、まだあじさいが咲き誇っていてとても見応えがあった。

なんと、賽銭箱の前にはあじさいが置かれていて、本当にあじさいを祭ったお寺さんだなぁと思った。

そこで集合写真を撮ったあと、ルネス金沢の跡地にできたメープルハウスに入り、美味しいパンを食べながら談笑にふけっていた。

7月5日
今日は、朝から雨の昨日に引き続き蒸し暑い一日。

さすがに早朝から雨が降り続いていたので、サイクリングやランをする事が出来なかった。

只、2日分の走ったツケとしての足の痛みだけが一日中まとわりついていた。

歩くと痛い、しゃがむと痛い、動くと痛いと散々な状態なのですが、いやはやケガと違って心地のいい痛さなのでまあいいかなあと言ってみた。

でも、湿気の多い6月で一番懸念していることは、突然腰がギクッといくぎっくり腰だけは注意せねばと思った。

これに見舞われたら、3〜4日はまともに仕事ができない。

特に、店内の観賞用の植木に水をやるときに半腰になって外に持っていく時は要注意です。

今日はお店についていろいろと考えてみた。

兎に角、店構えが格好がよくて見栄えのいい店舗は、一見繁盛するように思われがちですが、違うんですね。

どんなに高級品がきれいに見栄えよく展示してあっても、来客頻度が少なければ只単なる展示場にしか過ぎない。

特にひとつのメーカーしか展示していない、いわゆるコンセプトショップは、そのメーカーに興味ある人しか来店しなく、来客頻度は極端に少なくなる。

やはり店舗というのは、常連客が多くてもいいので、店内がいつも人で混ったがえっていた方が活気があって人も購買意欲が湧いてくる。

逆に、高級品ばかりの高そうな限られたメーカーの品ばかりだと店内はいつも人がまばらで活気がなくて購買意欲が湧いてこない。

見栄えよく、見やすく展示台数も少なめに、ショールーム的な展示を推進しているアメリカ大手メーカーのコンセプトショップは、実はあまり日本では成功していないような気がする。

やはり、取り扱い品目が多く、できるだけ多くの人が来店しやすい商品を並べているショップの方が数倍、売上も来店頻度も多くなる。

さらに、契約時点でかなりの初期オーダーを課せられ、マージンの少ない商品を店内いっぱいに並べ、売れなければ返品もできずに泣き寝入りしなければならない。

特に人気車種は、メーカー在庫もなくて、展示車種のサイズ違いが売れても商品がないという悪循環。

そんなアメリカの合理主義に惑わされているコンセプトショップは可愛そうで見ておれない。

当店だけは、飼い犬のような商売だけはしたくないと思う今日この頃だった。

夜にPKメンバーと呑みに行った福井本店の秋吉という焼き鳥やさんは、とても繁盛していて、なんとテーブルに着くまでに1時間近く待っていた。

でも、安くて品揃えが豊富な店は、皆さん時間がかっても根気よく気長に待っていらっしゃった。

その後行ったタリーズコーヒーも人でいっぱいで、席に着くまでに十数分も待っていた。

7月4日
今日は、朝から雨の最高気温34℃の蒸し暑い一日。

朝一番に向かいの大和公園で、昨日の筋肉痛が取れぬまま3周回約3kmちょい走った。

今まで殆ど使っていない筋肉を使うと、これほどまでに痛みが継続するとは思ってみなかった。

でも、その状態で走ると、意外と走っている間はその痛みがあまり苦にならなくて、かえって心地よい走りになるのは不思議です。

勿論、足があまり上がらなくて遅いのは仕方ないが、もう少し距離を伸ばして、アドレナリンが分泌するようになったらしめたものです。

どうも、走ってわかった事なのですが、自転車で坂を登るより、走っていた方が楽に感じるのは私だけなのか?

でもその後、仕事中は足が痛くて歩くのもおぼつかないのですが、仕事の支障になるほどではないので一安心です。

水泳に関しては、学生時代ブレストが専門だったので、それで泳ぐと500mはあまり苦にならないで泳げるのですが、クロールとなると同じタイムで泳ごうとするとバテてしまう。

今のところ50mのタイムを測ると殆ど同タイムですが、その疲れ具合が違ってクロールは泳ぎこんでいないのもあって50mで疲れてしまう。

さて、本番はブレストにするかクロールにするか思案どころなのですが、多分、泳ぎなれているブレストにするような気がします。

本番での制限タイムは長く、誰が参加しても完走できるので、是非この機会にと思う方は私に相談してください。

まずはその楽しみを味わう為にも、この機会に是非と言ってみた。

7月3日
今日は、朝から雨の蒸し暑く鬱陶しい一日。

その日にある決断をして、その実践に向けて始動し始めた。

過去に一度だけ参加した事があるが、それはもうあれこれ20年以上前の話。

この年になってと思うかもしれないが、当店の私がおこなえる最後の事業の一環でもあった。

その内容は今ここでは詳しく述べることができないが、漕ぎ出した船で後戻りができない。

あの三浦雄一郎でもあの年で決断したのだから、まだ私にとってはひよっこ同然なのかもしれない。

勿論、それをおこなう環境は整っていて、向かいがそれに適した大和公園で一周約1kmの周回コースになっている。

さらに、近くには最近できた真新しい施設があり、全てがスムーズにおこなえる、思ったり、叶ったりの環境です。

もし我がPKメンバーで賛同される方がおられれば、遠慮なくお申し出下さい。

この充実感は何者にも代え難い達成感がありますよと宣伝してみた。

てな訳で、これからの新たな事業として、ナポレオンのように後戻りしないように、渡ってきた橋を全て爆破させて前進あるのみですと言ってみた。

その結団式が我PKルームで夜におこなわれ、ある程度の道筋を話し合った。

第二回は、温泉ライダーが終わってから行いますので、賛同された方は是非参加してください。

7月2日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

午前中にサイクルスポーツの編集長と当店担当の営業の方が来られ、自転車業界の現状についていろいろと話し合った。

何故、金沢くんだりまで来られたかというと、イオンが専門学校と提携して、自転車販売のプロを養成する”イオンバイク社員養成学科”を設立すつための取材に来られた。

資本の大きさにものを言わせて、専門学校まで巻き込んで、サイクルベースあさひと競い合って多店舗展開するためにこのような学科を設立するのはどうかと思う。

イオンという企業は、総合スーパーとしてだけでは満足できなくて、専門分野まで手を出して、資本力にものを言わせてその部門で全国一番店になろうとしている。

多店舗展開するのは悪くはないが、あのコンビニエンスストアで代表されるような全国至るところで同質化した店舗が乱立しているのを見るに、地域性が次第に失われていくのは残念です。

あのセブンイレブンのように資本にものを言わせ、主要道路に空き地ができると、その大きさや立地にかかわらず、必ずと言っていいほど進出してくるのはどうかなぁと思う。

銀行も過去のバブル期後の倒産劇の二の舞を踏みたくないためか、業績の好調な企業へばかり資金を融資している。

銀行本来の目的は、資金不足で何か事業を起こそうとしている企業に融資させるのがその姿なのですが、最近は逆に、業績が好調な企業への融資が多いようだ。

そうすると、尚更イオンのような業績好調なところに融資の手が伸び、さらに膨れ上がった余剰資金を利用して、地域に根付いた商圏へと侵略してくる。

午後からは、はたまた同じ業界のバイシクルクラブの編集長と営業の方が来られ、同じように自転車業界についていろいろと話し合った。

我スポーツサイクル専門店の現状についていろいろお話したが、よく理解していただいたようで、話してよかったと思った。

7月1日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

ありゃ?振り返ってみると、この日記がだらだらっと10年日記以降、半年も続いている。

一日に感じた事のみを書いているつもりですが、どうも以前のように出来事を書こう書こうとしている自分がいるようです。

お店はおかげさまでとても忙しくててんてこ舞いなので、この日記を書くのも眠い眼差しを擦りながら書いているのが現実です。

何故書くのかと自問自答しているが、そこの日記があるから書くのですといっちょ前の返事をしてみるに、私でもその理由があやふやです。

自転車の事だけを書いていればそれに興味のある人に読んでいただけるのですが、毎日書く内容がバラバラで、統一性がないのです。

最近の近況についてはmixiやFacebookなどがあるが、最近疲れが溜まっているのかあまり深読みしなくなり、さらっと目を通すだけになった。

今月の19日でいよいよ大台を超えることになり、ペンジャミンバトンじゃないけれど、それからは少しづつ若返っていけば良いのにと思う。

お盆休みにイベントがなくなったので、私の人生の区切りとしてのご褒美として、青春18切符でも買って、どこへ行くともなく、ふらっと輪行の旅でも出たいものです。

各観光地はどこも満室のようなので、どこぞの政令都市でふらっと自転車に乗りながら過ごすのも乙なものです。

そうだ!10月に出場しようとしているトライアスロンの下見を兼ねて、学生時代を過ごした新潟にでも行って、ふらっとサイクリングするのもいいのでは・・・・・・

なにしろ最近は、少しのんびりと過ごしたい気持ちに苛まれている今日この頃だった。

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