2013年

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8月31日
今日は、朝から曇りで蒸し暑く、昼過ぎから豪雨のめまぐるしい一日。

ブリヂストンサイクル館をオープンしてはや半年が経とうとしている。

その半年間は試行錯誤で店番をしていたが、ようやく一般のお客さんが認知してくれて、少しづつ来客が多くなってきた。

始めの頃は、その存在を知らないお客さんが多く、スポーツサイクル館で修理や商談を手伝っていた時に、ママチャリを買おうとしていたと思われるお客さんがすぐに店内から去って行かれた。

でも、そのスポーツサイクル館は、逆にお客さんの来店頻度が多くなり、特に初心者のお客さんが顕著に多くなった。

土日などは、その忙しさのあまり、殆どの時間をスポーツサイクル館で手伝っていた事もあった。

何故それほどブリヂストン館が来店頻度が多くないかというと、なんといっても修理をしていないというか、あの直射日光の西日が当たる灼熱地獄の風洞室の修理場ではとてもじゃないが蒸し暑くて修理ができない。

勿論、クーラーがかかっている状態でも直射日光で室内は暑くて肌を刺してくる。

でも、少し涼しくなった秋口からは、簡単な修理なら出来るようになるのではと思っています。

勿論、新車の組立は店内の違う場所でしています。

同じ場所で2店舗を構えるのと、全く違う場所で構えるのとでは一長一短ががあるが、やはり同じ場所の方が色々な面で利点が多いのがわかった。

まずは、忙しい時にはどちらかにすぐに手伝いに行ける。

又、会計と登録がひとつの店でできるので、無駄なスペースを取らなくてもよく、金銭面でも安全です。

さらに、スポーツと一般車の両方を見たい方のとってもすぐ近くで便利です。

悪い面としては、同じ商圏の人達しか集まってこない。

まあ、時間が経つにつれて認知度が増してくると、その問題も解決できるのではと思っています。

8月30日
今日は、朝kら豪雨の大荒れの一日。

人間は、行動を起こすと、何かしら新しいドラマがあるのがイイですね。

じっとしていては何も生まれなく、失敗してもそれに挑戦することによって生きがいが生まれてくる。

それは、仕事でも趣味でも何でもイイ。

私の場合はどちらかというと、趣味のサイクリングに関していろいろと行動を起こしドラマを呼んでいる。

というか、その楽しみが長年の間に身に染み付いて、どうしてもちょっとした機会があると行動してしまう。

私がサイクリングが出来る時間帯は、朝の9時までか定休日の水曜日だけです。

土日の朝練は皆さんと一緒に走り、水曜日は、水曜サイクリングで皆さんと走るかひとりでロングツーリングをして楽しんでいる。

どうしてこのようにサイクリングにとりつかれたかと言うと、キッカケは勿論仕事上から来ているが、いろいろ移り変わる景色を見ながら走り続けることが出来て、皆さんといろいろと有酸素運動をしながら話し会える事です。

その運動しながらの会話ほどお互いに親しくなれる環境は他にないように思う。

さらに、全体的にスポーツサイクルは、交通渋滞の解消、地球温暖化の解消、生活習慣病による医療費高騰の解消、エネルギー枯渇の解消、忙しさから人々が抱えるストレスからの解消といろいろいい面が多い。

この年になると、いろいろと体に支障をきたす事が多くなるが、私は有酸素運度をしているせいなのかそのような症状は一切ない。

病気になるくらいなら、仕事を多少犠牲にしてもサイクリングすべきだという説はまんざら間違っていないような気がする。

その理由は、病気になったら仕事も運動も出来なくなるからです。

8月29日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

昨日の疲れが多少残っていたのか、仕事中もちと睡魔が襲ってきて眠かった。

でも、昼食後にブリヂストンサイクル館の休憩用の長椅子に横たわったらすぐに眠気も取れてしまった。

さて、テレビを点けてみると、シリアの化学兵器使用や気象庁の特別警報、中学生殺人事件など暗い話題が多い。

さらに、ゴールデンタイムと言われる19時から22時でのテレビ番組では、なんの芸もないお笑いタレントが面白可笑しくクイズ&トーク番組などに出演している。

その瞬間は楽しめるかもしれないが、その場限りで一瞬のうちに忘れ去られる。

昔は、裸の大将などの味のあるドラマや藤山寛美やドリフターズ、クレージーキャッツなどお笑いでも質の違うお笑いで我々を楽しませてくれた。

で、この頃は、日本映画チャンネルやチャンネルNECOで日本映画ばかりを観ている。

特に、高倉健や鶴田浩二、勝新太郎が出演している任侠映画や森繁久弥の社長シリーズ、駅前シリーズには目がありません。

今日も勝新の座頭市を観ていましたが、最後に悪を退治する盲座頭市の刀裁きを見ていると、身も心もスカッとする。

兎に角、今の時代、このような存在感のあるスターは不在で、どんぐりの背比べのようなイケメンで顔が小さく、痩せ過ぎであまり個性のない俳優にはうんざりする。

女優にしても、何かしら同じ顔やスタイルばかりで個性がない。

女優ではないが、朝一番に民放のチャンネルを回すと、同じような小さい顔でやせ細ったスタイルのアナウンサーが一斉に顔を並べ、同じようなキャー、キャー声でしゃべっているのを見ると、すぐにNHKにチャンネルを変えてしまう。

と、雑談話で終わった日記ですみませんでした。

8月28日
今日は、朝方曇りで時々雨の一日。

早朝、天気予報を見るに、雨雲が接近していたが、わずかにコースがズレたために雨に合わないでサイクリングに出かけられた。

集合場所には、横浜からおニューのロードを引取りに来られたアサヒさんと婿殿、セナタクさん、クロスケくん、イノキちゃん、くるみさん、みーさん、みっちゃんと私の9名が集合された。

平日に9人と思うかもしれませんが、定年の人、夏期休暇の人、有給休暇の人、勤務がお休みの人、定休日の人、夏休みの人、お休み自由な人がたまたま参加された。

でも不思議な事は、アサヒさんが来られるところにはいつも多くの人々が集まることです。

やはり、人柄がよくて、自然と人を惹きつける魅力がある人だからだと思った。

今回も、ニューロードの試し乗りで婿殿と一緒に走りたいとの事だったが、偶然にもその日が今日の水曜サイクリングの日だったのです。

そのコースは、私が前日に宝達志水町の所司原回りで氷見一周を考えていた。

でも、金沢から敷浪までは全く雨に濡れなかったが、少し走った宝達志水町からは雲行きが怪しくなり、その上り坂からとうとう雨に降られてしまった。

その雨は氷見の街まで続き、次第に濡れた体が少しずつ凍えてきた。

さらに、ロードの後ろに付いていると、その水しぶきが体にかかり、一段と濡れがひどくなった。

勿論、シューズの中はズクズクで、漕いでいるとチャポン、チャポンと音がするようだった。

そのずぶ濡れで冷えた体のまま、氷見漁港にある海寳という食堂に入ったのはいいのですが、ガンガンにクーラーが効いていたのでたまらず設定温度を低くしてもらった。

勿論、皆さんは暖かいかぶす汁の付いたランチや刺身定食を注文された。

その汁を飲むと次第に体が温まり、その凍えが次第に収まっていきた。

お店の方も、濡れた体を拭くタオルを持って来られたのでとても助かりました。

そこからは、氷見の海岸線を通って、なんとそこから二上山へと登った。

アサヒさんと婿殿にはちと過酷だったが、何かしら思い出を残してもらおうとあえてその道を選んだ。

上り途中の鐘撞堂ではさすがにバテ気味だったので、休憩時間を長く取ったが、その先もさらにアップダウンが続き、かなり過酷なコースにはちと驚いた。

そこからは平地主体で、小矢部の道の駅までひたすら走り続けた。

道の駅では、マンゴソフトを食べながら英気を養った。

倶利伽羅からは、天田峠を通って行こうと思ったが、交通量の少ない穴水までの471号線からごみ捨て場の道をあえて選んだ。

ところがその曲がり角に気づかなかった約2名が暴走したまま走り抜けたので、連絡をとったり、追いかけたやらでかなりの時間を費やした。

でも、その休憩がアサヒさんと婿殿にとってよかったかもしれなかった。

そこからは、予約してある結婚式場のビアガーデンの予約時間に間に合わすために只ひたすら家路へと急いだ。

そのビアガーデンでは、婿殿のコンタクトアクシデントもあったり、パンダくんも加わったりで、予定時間を30分遅くしてもらったために、みんな集まって乾杯したのがとてもよかった。

アサヒさんと婿殿を中心にいろいろな話が聞けてとてもとても楽しくひと時を過ごした。

8月27日
今日は、朝から晴れの日差しが強い一日。

さて、我が業界について少し書いてみます。

商取引についてですが、我々独立小売店は何故かスポーツサイクルの日本現地法人に振り回されている。

まずは、取引条件についてですが、更新時期には毎週のように東京、大阪の各展示会に出向いて初期オーダーをかなりの金額で発注しなければならなく、さらにそれによる取引期間が年契約。

という事は、毎年契約更新のたびに初期オーダーを発注しなければならない。

その買取同様のスポーツサイクルの掛率も低く、とてもじゃないが他業界に比べると雲泥の差です。

さらに、組立にかなりの時間を有し、その作業工賃もその中に含まれている。

それによって地域独占で売れればいいのですが、そういう締めつけをしているのにも関わらず直ディーラーを各主要都市に次々と設立している。

小売業は、各メーカーの自分の商圏にマッチした車種を自由に選んで販売するのが本来の姿なのですが、その為には各日本法人と契約して、その都度初期オーダーをかなりの額で発注しなければならない。

さらにその商品の入荷が秋以降の非需要期になるので、その為の資金も相当な額になってしまう。

その問題を解決すべく日々努力しているのですが、なかなかその解決策が見つからない。

我々独立小売店が団結して、現地法人に直訴してその問題を解決するしか方法がないように思う。

個人的には、もう少し日本メーカーのブリヂストンが、スポーツサイクルに研究開発費を注ぎ込んで、外国メーカー以上のバイクを開発すれば問題は解決するのだがと思ってしまう。

やはり各専門店が、自分たちに都合よく振舞っている日本法人に振り回されることなく、無駄な出費を避けて、根本的な経営を考えていかなければならない時代なのかもしれない。

8月26日
今日は、朝から晴れの比較的涼しく過ごしやすい一日。

その朝一番には、土日にロードに乗れなかった鬱憤を晴らしに、6時前に夕霧峠へと向かった。

いや、ここ最近の蒸し暑さとは裏腹に、湿気も少なくて気温も20℃前後の最高のコンディションの下、ひとり淡々と金沢大学キャンパス道路を登って行った。

そのせいか、坂もそれほど苦痛ではなくて、遅いが飄々と走る事ができた。

ちょうど、途中の俵町の温度計がなんと15℃を表示していたのには驚いた。

いよいよ、イワナの水槽からの激坂にさしかかったが、速度は遅いが、いつもの辛さはなくてむしろ余裕のある走りで登る事ができた。

さらに、見上峠から医王の里の手前の激坂も然りだった。

そこからは、この時期いつもだったら、アブやおろろが途中で出てくるのですが、さすがに涼しかったせいか一度も出てこなかった。

さすがに、頂上手前の勾配のある坂ではちと足にきたが、難なく登りきった。

その頂上から見下ろす金沢市の街並みは、明るく照らし出されていてとても神秘的な光景だった。

勿論、頂上には誰もいなかったが、坂を降りる途中で、ジャージもぴしっと決めているまだお若いお嬢さん?がひとり飄々と夕霧目指して登って来られた。

ちょうど家に着いたのは、走ってから2時間ほどで、かろうじてお店の開店準備時間には間に合った。

とても清々しい最高の環境の下での朝サイクリングだった。

8月25日
今日は、朝方雨で昼から晴れの不安定な天気の一日。

朝一番の朝練に夕霧峠へ登る予定だったが、ウェザーニュースを見ていると、あと数10分で巨大な雨雲が接近してきているので、行くのを直前で断念した。

幸い、前線が次第に南下し、その雲が直接金沢にかからなかったので、それほどひどい降りでなくてなくてよかった。

その中を約4名の有志が夕霧目指して登られたのには驚いた。

プリンスさんのお話だと、雨が降っていたがそれほど強くなくて、かえって涼しく虫が居なかったとの事で登りやすかったようです。

この夕霧峠は、我金沢のサイクリストにとっては聖地の場所で、その事は以前にテレビでも放映されていた。

私も過去何十回と登ったが、いつ登っても酷くて辛いコースには変わらなかった。

特に医王山スキー場の手前で、イワナの水槽からの激坂は何回登っても心が折れてしまう。

何故、山好きなサイクリストは、このような激坂のある長い上りを登りたがるのか理解しがたい。

そしてさらに乳酸が溜まりきって、辛くないのかと思ってしまう。

私は昔からよくぎっくり腰になる事が多くて、腰に負担がかからないように登りはなるべく避けて走っていたので、尚更坂が弱いのかもしれない。

いや、人よりも乳酸が溜まりやすい体質だとも考えられる。

いずれにせよ、今でも坂は苦手です。

8月24日
今日は、朝から曇りで時々小雨がぱらつく比較的涼しい一日。

さてさて、今日は雨で朝練も行けなかったので何を書こうかとちと迷ってしまう。

ここで以前にも何回か過去の日記で書いた事があるが、あまりにもソーシャルネットワークが巨大化した弊害として、その一言一言に神経を尖らし過ぎる傾向がある。

以前に韓国では、その書き込みによって芸能人が死に至った事もあり、そのネット上の情報がウィルスの如く我々を襲ってくる。

やはり、面と向かっての一対一の腰を据えたじっくり話し込む対話こそが、いろいろな誤解を解く一番有効な手段のように思える。

それはお互いに面と向き合うことにより、嘘偽りのないお互いの心をさらけ出す対話で私はそれを一番大切にしている。

そうする事によって、ソーシャルネットワーク上の歪んだ情報も回避できて、真の会話ができる。

それと同時に、人の優しさに触れる事もできる。

テレビでも以前にその事の大切さが伝わる番組が報じられていた。

それは、東京オリンピックの誘致問題で、ある人物が死をも顧みずにその圧倒的なアメリカ支持派の南米のJOC委員の国をくまなく周り、お互いの心を割った話し合いでその同意を取り付けてきた。

で、帰りの船の中で、とうとうその旅の疲れで亡くなってしまった。

後に、その現場の船の中に居合わせた同心によってそれが現実となった。

8月23日
今日は、朝から雨の土砂降りの比較的涼しい一日。

さて、今日一日この土砂降りの雨で暇だったので、予定より早く入荷した我横浜支部長サイクリング仲間のロードをそれに集中して組んでいた。

ここでのコンポーネントはDura-Ace9000で、メカニカルでは最新で最高のコンポーネント。

その中でのデュアルコントロールレバーについてなのですが、変速ワイヤーの取り回しが実にユニークなものになっている。

こういう取り回しの発想は、固定概念を捨てて何回も実験を重ねた結果、この構造が一番負荷がかからないものになったと思う。

まあよく考えてみると、ワイヤーを引っ掛けて回すにはこの方法が一番負荷がかからない構造。

でも、なかなかこのワイヤーの取り回しの発想は思いつかないような気がする。

やはり釣りのリールを作っているだけあって、回転によるラチェットでのワイヤーや糸の引き技術は世界一だけある。

さらに凄いのは、フロントディレーラーのワイヤーの引き位置の微妙な二者択一構造です。

勿論、ワイヤーのポリマーコーティングによる引きの軽減化も凄い。

何故、ここまで究極のワイヤーの引きの軽減化にこだわるのかと驚いてしまう。

でも、我サイクリング仲間に、夜ちょこっと一杯じゃなくてお聞きしたところ、変速ワイヤーの伸びが大きいとの事で一度メーカーに問合わせてみようと思っています。

8月22日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

おいおい、10年日記で完結と言っておきながら、だらだらと8ヶ月この日記を書き続けている。

なんの意味合いもない内容で、このまま書き続けてもいいものかと思ったりしている。

以前のように、サイクリング中心の一日の細かい行動を載せていると、あとで振り返ってあの時ああだった、こうだったと回想できるが、ここ最近のはある問題点だけに集中して書いているので読んでいても過去の回想が出来ない。

と同時に今日、藤圭子がマンションから飛び降り自殺した。

ちょうど同年代で、あの荒れていた学生時代にこの曲が流れると、いろんな意味で興味をそそられ、よくその曲を聴いたものです。

さらに6〜7年前にブリヂストンG&Sの全国大会のディナーショーで出演して、その曲が流れると目を閉じながら聞き入ってたのを思い出す。

あの時代、浅川マキのかもめや岡林信康の山谷ブルースも流行っていて、時代を反映した哀歌が世界中で流行していた。

確かに、この時代は私にとっても波乱万丈の時期で、このような哀歌を聴きながらその思いを移入していた。

8月21日
今日は、朝から雨の昨日に引き続き比較的涼しい一日。

その晴れ間を見計らって、野々市から鶴来方面へサイクリングに出かけた。

でも、野々市新庄付近から突然雨が降りだし、上林付近では土砂降りの雨に見舞われた。

そこで暫し雨宿りをしたあと、再び晴れ間が出てきたので、鶴来へと向かった。

天狗橋を渡って頃から、再び雨が降りだし、灯台笹公民館付近では再び土砂降りの雨に見舞われ、暫しその公民館で雨宿りをしていた。

その雨が収まったところで再び走り出し、北陸先端大学から下りきった坪野町ではなんと道沿いの用水からの濁流で道路が至るところで冠水していた。

さらに先ではなんとかなりひどい冠水で通行止めになっていて、そこには警察官が立っていたが、此処を通らなければ小松方面に行けないのであえて許可を貰いロードで渡った。

水深は20cm程だったので、難なく先へ進むことができた。

その先も所々で冠水していたが、どうにかハニベ洞窟院にたどり着くことができた。

そこからはお腹が空いたので、小松方面へと向かった。

でも、主な飲食店が水曜定休日だったので、海沿いの道路を走り、その途中の中華飯店で昼食をとって金沢へと引き返した。

帰ってシャワーを浴びてうたた寝をしたあと、夕方には向かいの大和公園でDRYさんとちかちゃんの3人でランの練習をした。

足は十分にストレッチしたので、痛みが出ずにほっとした。

その間、めんさんとたっきーさん、セナタクさん、入江(町)さんが来られ、だいやらを除いて大和公園を周回していた。

その後、近くのいいとこ鳥で入江(町)さんの優勝祝勝会に参加した。

いや、飲むわ、飲むわの和気藹々でとても楽しいひと時を過ごした。


8月20日
今日は、久しぶりに朝から雨の真夏日ではない比較的涼しい一日。

ここ最近の世界情勢を観ていると、異常気象や政治不安、景気の足踏みなど暗い話が多くなっている。

異常気象に関しては、明らかに中国での急激な工業の発展や車の急激な増加に伴うCO2による地球温暖化が原因している。

日本やアメリカ等の先進国が、人件費の安い中国を主なOEM先にしたのも原因している。

結果的には、確かに人件費が抑えられて価格は安くはなるが、国内産業の空洞化による景気低迷や品質劣化による使い捨て商品の急激な増加に拍車がかかっている。

自転車を診ても、あの時代の国産自転車と比べると、今の中国産は品質的にはかなり劣っていて、すぐにサビが来て、タイヤも品質が悪くてぺらぺらなのですぐにパンクする。

又、価格が安くなり大量生産できるので、イオンなどの大手チェーン店が価格の安いトップバリュー商品を大量発注してどんどん店舗を拡大した結果、昔からの伝統ある老舗がどんどん衰退して潰れていくのは嘆かわしい。

さらに、コンビニがシェア拡大のために所構わず、マニュアルどおりの同じような店舗を街中に出店して各地域の景観を損ねている。

確かに、一見安くて便利で生活が楽になるように思われるが、結果として国内産業が衰退して、景気低迷に拍車がかかっている。

いや、内需拡大政策で、景気が良かった時代がとても懐かしく感じた。

あとはさらに、インターネットの普及で、猫も杓子もネット通販でものを買い、どうしても自分で出来ないところだけを我々のところに持って来られる。

ああ、今日はネガティブな文章になってごめんなさい。

8月19日
あるFacebookでのとても共感する投稿を載せました。

私がバイクを好きな理由は、人にあります。私は、バイクを通じ沢山の人に出会いました。今もそれは続いています。人との出会いを通じ私の人生は、とても楽しく心が豊かになりました。最近ではFacebookを通して全国の方と知り合いになれました。これもバイクのおかげです。
人は一人では生きてゆけないと思います。様々な関わりがあるから生きてゆける。バイクで旅をするとそれが良くわかります。
バイクは前進しかしません。コーナーを曲がる時もコーナーの出口に目を向けていないとコーナーの外側に膨らんでガードレールにぶつかります。怖いからといって目を背けてはいけない。
まるで人生そのものです。
最近の風潮として失敗を極端に避けます。食事に出かけるとき、ネットで調べて見ず知らずの人の評価で店を決める。仕事だって、秒速で稼げる人がもてはやされ、いかに確実に最短で楽に稼ぐかが焦点になる。恋人を作るのだってネットであらかじめ趣味の合う人を選んで、最短で相手を探す。
時代だから、と言われればそれまでですが…
最短で得たものは、最短で失う。簡単に得た答えは、すぐ忘れる。
知識だけ身につけても何も役にたちません。知識は経験がともなって始めて生きる。
その経験を与えてくれるのが人との関わりだと思います。
今回の私のツーリングも沢山の人が協力してくれて、Facebookでも沢山の人がコメントをくれ、新たな関わりが生まれました。
バイクという趣味に感謝し、さらには皆さんと知り合えたことにも感謝したいです。
さて、今日も安全運転でツーリングにでかけます。
だからバイクはやめられません。

自転車(バイク)も全く同じなんだなぁと思った。

8月18日
今日は、朝から晴れの昨日同様とても暑い一日。

その暑さを跳ね返すかの如く、夕方には北國ビル屋上のビアガーデンで沖縄ナイトが催されてそれに参加した。

会場には既に多くの方が居られ、ビールを呑んで談笑されていた。

その中で、入江(町)さんと東力さん、ヨネさん、ウィンターズさん、かつやんさん、イノキちゃん、みーさん、めんさんが参加される我PKメンバーのテーブルにつき、沖縄料理を肴にオリオンビールを呑みながら楽しいひと時を過ごした。

その他には、DRYさん幹事の県中グループやおりたじさんとトモちゃんが入会されている三線のかりゆしグループ、みやじぃ率いる親戚お友達グループがそれぞれ和気藹々で沖縄民謡を演奏したり、聞き入ったり、踊ったりして楽しんだ。

その中でも、何回も演奏を聴いているあのかりゆしのメンバーの演奏にはついつい最後まで手拍子をしながら聞き入っていた。

兎に角、沖縄の雰囲気は最高で、誰とでも何気兼ねなく皆さん頭を空っぽにして、手拍子したり踊ったりするのがイイですね。

何かパソコンやスマートフォンの中でのソーシャルネットワーク上のコミュニケーションとは違ったざっくばらんな雰囲気が堪りません。

やはり人は、お互いに面と向かっての対話が一番心が通じ合い、今も昔も変わらないと思った。

2次会は、マルコさんが店長としておられた片町のカフェアルコブレーゴでなんと皆さんパフェを食べ、余韻に浸りながら楽しいひと時を過ごした。

8月17日
今日は、朝から晴れのとても暑い猛暑日の一日。

さて、お盆休みが終わった初日の営業だったので、一日中修理や商談、納車整備に追われていた。

今日は週末で出張修理しない日で、車も整備不良で使えなかったけれど、交差点で急にブレーキがロックして動かなくなった自転車をどうしても直しに来て欲しいとのことで、シティサイクルに修理道具を乗せてお客さんの自宅へ出向いた。

その自転車を見てみると、なんとうしろブレーキワイヤーにバイクと思われる路上に落ちていたスタンドバネがうまい具合に引っかかり、ブレーキがロックしていた。

このような現象が起こる確率は、数億分の1で、偶然が幾つも重ならなければ起こらない現象だった。

もし下り坂のスピードが出ている時に起こったら、確実に横滑りして転倒して怪我するところだった。

さらに、お客さんの車に自転車を載せようとしてドアロックを押して軽く引いた途端、そのプラスティックのノブが割れて取れてしまった。

実は、ドアロックではなくて、窓を開くボタンのあるノブだったが、この灼熱の暑さで経年劣化したプラスティックが割れやすくなっていたんだろうと思った。

午前中には、たっきーさんとまっきーさんが来られ、朝練で小松の十二ヶ滝へ行かれた事についていろいろ話し合っていた。

その中で、昨日一昨日と白馬に一泊サイクリングに行き、今日これから結婚式に行かなければならないというのに、朝練に参加した入江(町)さんは偉い!と思うと同時に変態自転車乗りである事がこれではっきりと証明された。

最近ようやく当店にブリヂストンサイクル館がある事が少しづつお客さんに認知されて来たのか、その館のご来店頻度が当初より多くなってきているように感じた。

それも、私がスポーツサイクル館で修理や接客している時に限ってご来店が多いのには不思議です。

店番して、ずっと身構えている時に限ってご来店客が少なく感じるのは世の常だと思った。

8月16日
今日は、朝から晴れの朝晩はちと寒いくらいの一日だった。

というのも、山間の白馬ならではの気温だったから

その朝一番に起きたが、数多い屋根裏部屋でまだ皆さんが寝静まっているので灯りも付けられず、只出口を手探りで探していた。

ようやく出口が見つかり着替えていると、その物音にちかちゃんが起きてこられた。

まだ時間は5時前で、辺りはまだ夜明け前で薄暗かった。

で、少し時間が経ったあとに外に出てみると、風が冷たくて肌寒く感じたが、思い切ってロードであたりを散策した。

空気が澄んでいて、近くにそびえる山々がくっきり見えてとてもきれいだった。

さらに、山の麓にはモヤがかかってとても神秘的にも見えた。

近くの白馬道の駅には、車で宿泊する人々の車で満杯で、トイレで顔を洗う人がポツリ、ポツリとおられた。

帰ってきたあとに、早起きの有志の入江(町)さんとちかちゃん、みーさんと私の4人で再び昨日行ったジャンプ台を見学して、さらに天皇陛下も宿泊された東急ホテルのあるオリンピック村の高台に登った。

その帰り道には、北アルプス連峰の山々がくっきり見え、そこで記念撮影をしながら帰った。

美味しい手作りの朝食を済ませたあと、いよいよ安曇野方面へサイクリングに向かった。

その途中の青木湖の周回道路は、木陰ができてとても涼しく、別世界でサイクリングしているような錯覚に陥っていた。

その後は、天国から地獄で、平均10%以上ある勾配の坂を頂上がわからないまま永遠と登り続けた。

特に曲がり角は、16%以上の勾配で、今にも止まりそうな速度で登った。

途中で何回も降りて歩こうと思ったが、後ろで頑張って登っているIさん始め、皆さん頑張って登っているので、腰に違和感を感じながらも、ダンシング、シッティングを繰り返しながらかろうじて足を付かずに最後まで登りきった。

頂上には鹿島槍スポーツビレッジのマビックテストライドステーションがあり、そこのマビックの社員でメカニックのひとりといろいろこの勾配のきついコースについて話し合った。

でなんと、この勾配のきついコースは、いざ実業団のロードレースになると25km/hで登り、さらに昨日登った小川村でのロードレースでは30km/hで登るのを聞いてとても驚いた。

そこからは一気に安曇野に向かって下った。

安積野市に入ると、ちょうど昼時だったのでお蕎麦屋さんに入り、美味しい蕎麦を食べて英気を養った。

そこからは、大王わさび農園でわさびソフトクリームを食べたあと、国道148号線沿いに灼熱の太陽を背に走り続けた。

でも、行きと同じ青木湖の周回道路に入ると、とても涼しく生きた心地に戻った。

その後、再び昨日と同じ天然温泉に入り、家路へと向かった。

8月15日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

その朝一番には、これから白馬へ一泊サイクリングに行かれる入江(町)さんとのまちさん、しゅらた屋さん、みーさん、Iさんと私の6名が当店駐車場に集合した。

私も、今から20数年前に青木湖へ家族でキャンプに行って以来の白馬周辺の旅でした。

糸魚川からもう少し近くて、トンネルも狭かったような記憶があったが、その間、道路の拡張工事が何箇所か行われて様変わりしたので、そう感じたのかもしれない。

場所は、白馬駅からさらに奥の白馬五竜というところで、早朝に観る近くのしらうま岳や杓子岳、鑓ヶ岳がとてもきれいだった。

宿泊先のコテージに車を停めて、早速、長野オリンピックで使われたジャンプ台を見学したあとに小川村へと向かった。

小川村は実業団の競技会場でもあり、兎に角、どこまでも長く続く坂で、途中で心折れそうになった。

あとで聞いたのですが、全日本クラスの実業団選手はこの坂を30km/hで登るそうでとても驚いた。

その峠を下った途中でちょうどお昼になったので、あの美味しい信州そばを食べながら英気を養った。

それからは再び勾配のキツイ坂を上り、白馬村へと向かった。

兎に角、勾配がきつくて長い坂は、途中で腰が痛くなりダンシングするが、その後すぐに上半身が辛くなり再びシッティングに戻るという繰り返しで、かろうじて足をつけずに登りきることができた。

始めて登る坂は、どこが頂上かわからず、只黙々と登るだけで返って辛く感じる。

ようやく、白馬にたどり着いた時はほっとした。

その後、近くの天然温泉で汗を流し、帰りに近くのスーパーでバーベキューの食材を買い込み、その準備にとりかかった。

火を起こして、準備万端になったところで、夕立が襲ってきたが、屋根付きのバーベキュー会場だったので濡れずに用意した食材の肉や野菜、イカ、カレイ、きのこ類を焼くことができた。

その後、2次会が始まると同時に、今日お仕事のDRYさんとちかちゃんが合流し、再び勝沼ワインで乾杯して楽しいひと時を過ごした。

でも、私は途中で睡魔が襲っていたので、先に寝かせていただいた。

8月14日
今日は、朝から晴れの暑い一日。

昨日走りすぎてちと膝を痛めたので、今日はおとなしく孫と遊んだり、映画を観たりして時間を費やした。

以前から観たいと思っていたジブリ映画の”風立ちぬ”はあの零戦を設計した堀越二郎の半生をモデルにし、さらに堀辰雄の小説”風立ちぬ”からの発想も盛り込まれた作品。

只残念だったのは、映画が終わってからしか流れなかった荒井由実の”ひこうき雲”を作品の中でも流して欲しかった。

さらに、特攻隊で散っていった”永遠の0”の小説にも出てくる零戦による戦闘シーンもちとリアルに描いて欲しかった。

その当時、世界で一番小回りが効く零戦は、このような人々と環境の中で設計されたんだなぁと思った。

あまり書くとネタバレになるので、この辺で止めておきます。

次も零戦に関連するのですが、妹尾河童の自伝的小説を映画化した”少年H”を観に行きたいですね。

なにやら最近は、ソーシャルネットワークが普及してきて、誰がどこでなにをしているのかが手に取るようにわかるのはいいのですが、逆にあの人は今どこで何をしているのかと思い焦がれる事がなくなってきているのがちと寂しい。

あの時代のように、あこがれの人を遠くから心の中で優しく見守るという事があってもいいような気がする。

8月13日
今日は、朝から晴れの暑い一日。

その朝一番には、約1週間ぶりのサイクリングに富山方面へと向かった。

やはり一番心配なのは膝で、痛みが再発するかと思いながら走っていたが、不思議と痛みが出ずに走れてほっとした。

まずは金沢大学前の坂を無事登り、さらにごみ捨て場頂上までを無事登りきった。

ちょうどその後、朝日が山間から顔を出したところで、靄がかかった山村を背景にとても綺麗に映し出されていた。

ぬく森の郷から福光の町を通り過ぎ、城端駅近くのコンビニで朝食を済ませたあと、五箇山の坂へと進んだ。

何回も登った坂なのですが、五箇山まであと何キロという表示にはくれぐれも騙されないようにしなければならない。

10kmと表示してあっても、下ったところの五箇山の町までの距離なので、トンネルまではそのずっと手前にあるのです。

その涼しいトンネルを潜ると、眼下に五箇山の町へ下る坂があり、その坂を下って一気に五箇山の町に到着した。

そこから再び庄川沿いのアップダウンの道路を走り、五箇山道の駅に到着した。

暫くすると、我々と同年代のおじさんのバイク軍団が到着し、そのバイクをよく見ると、ハーレダビットソンやBMWなど外車のオンパレードだった。

で、その叔父さん方と約30分間ずっと話し込んでいた。

メンバーは、関西、四国、九州といろいろな所から来られ、西日本バイク愛好会という感じだった。

私が乗っているロードにも興味を示され、メンバーの中にはロードを持っておられる方がいらっしゃったが、最近はほとんど乗っていないとの事でした。

そこから庄川沿いの道路を一気に下り、小牧ダムにたどり着いた頃に入江(町)さんから電話があり、近くの水公園で待ち合わせをした。

その間、ゆずまんじゅうを食べたり、ノンアルコールビールを飲んだりして時間を費やした。

で、合流したあと、風情豊かな井波の彫刻の町のメイン通りにある田舎まんじゅう屋さんに入り、可愛いお嬢さんのもてなしで、暫しまんじゅうを食べながらくつろいだ。

その後、砺波から福光の街に入り、中華料理”青龍”で天津飯を注文した。

いや、酢が入っていて、その酸味がなんとも言えない味を醸し出していてとても美味しかった。

福光街道を越え、無事に自宅に到着したが、あれ?家の鍵がない!!!!!

仕方がないので、一緒に帰ってきた入江(町)さんの自宅にお世話になり、缶チューハイを何杯も呑みながら高校野球を観戦していた。

そこで酔った勢いで、近くのハナちゃんのおられる陶庵に向かった。

ちょうど、人気陶器作家である今野朋子さんの作品が展示されていた。

その間、大きいめの陶器でコーヒーを飲み、ケーキを食べながら鑑賞していた。

いや、ハナちゃんは以前とは見違えるような性格のお嬢さんに成長したのには驚いた。

と同時に、驚きの報告があった。

8月12日
今日も、朝から晴れの暑い一日。

さて、昨日とは一転して、今日は仕事の面でチグハグでミスの連続だった。

というのは、ある2点で大きなミスをしてしまった。

このようなミスはここ数年、ほとんどしなかったが、何故か昨日の忙しさとここ連日の暑さのせいなのか、いやここ数日ロードに乗っていないせいなのか、考えられないような単純なミスによって半日時間を費やしてしまった。

結論的には、その作業が無事終了したが、その間、ちょうど30数年前に何もわからない作業にあ〜でもない、こーでもないと試行を繰り返して、深夜までその作業に没頭した頃を思い出していた。

その時代は、今のようなマニュアルというものがなくて、兎に角、試行錯誤しなければ作業を進行できなかった。

さらに、その作業を教えてもらえる相手もいなくて、ひとり淡々とその作業に打ち込んでいた。

今日のは、いわゆるはまり込み事件で、間違って入った小物の部品がどうしても取れない場所にあり、試行錯誤の末にようやく取る事ができた。

いやはや、どんな工具を使っても取る事が出来なくて、格闘の末に一つのちっちゃな工具を壊した直後になんと奇跡が起こり、無事に取る事ができた。

今のスポーツサイクルの組立作業は完全にマニュアル化されていて、昔のような職人気質の作業というものが殆ど通用しなくて、そのマニュアルに従って作業を進行していかなくてはならない。

特にデジタル化されたDi2などは、設定の仕方のみでその作業が完了される。

本来は、一般車の修理をブリヂストンサイクル館で行い、スポーツサイクルはスポーツサイクル館ですれば効率の良い作業ができるが、ブリヂストンサイクル館には私一人で、とてもじゃないが、エアコンをつけても西日の当たる灼熱地獄の中での作業はできない。

その点について、少し暇になる秋口から少しづつ考えようと思っています。

という訳で、珍しくサイクリングをしないここ1週間が過ぎ去ろうとしています。

明日にはサイクリングするぞ!と言ってみた。

8月11日
今日も、朝から晴れの暑い一日。

さて、今日は2号さんのアルミロードからの買い替えのロードをはじめ、初心者の方のクロスバイクからの買い替えのロードやツーのとに参加されるためのロード、夫婦で乗られるためのロード、健康管理のために乗られるロードとかなりのロード需要のお客さんがご来店された。

そのために、ブリヂストンサイクル館にはわずかの時間しかいなくて、殆どがスポーツサイクル館にいて商談や修理に時間を費やした。

その間、夕霧朝練組や十二ヶ滝組などのPKメンバーが来られたが、あまりお構いもできず淡々と仕事をこなしていた。

足の痛みも前日に比べると少し楽になり、もう少し運動は我慢して休養しようと思っています。

春先に店内いっぱいに並んでいたロードレーサーもかなり売れて、あとは2014年モデルの入荷を待つだけの状態になった。

でも、まだまだお買い得な2013年モデルもありまっせと言ってみた。

私もトライアスロンに参加するためにランや水泳を練習しているが、やはり自転車が一番体に負担がかからず、故障の少ないスポーツだという事があらためてそう感じた。

いよいよ明日の仕事を終えると、明後日からはお盆休み。

膝も大分治ってきたので、早朝から何処かへサイクリングに行こうかと思っています。

あまり無理をしないためにも、午前中には帰ってきて、暑い午後からは私の学生時代から好きな歌である”白い坂道が空まで続いていた♪ゆらゆらかげろうが♪・・・・”と歌い始める荒井由実の”ひこうき雲”が挿入曲の”風たちぬ”を観に行きたいですね。




8月10日
今日は、朝から晴れのとても暑い一日。

さて、足の具合が思わしくないので朝練は断念して、休養日とした。

夜には、高校時代親しかった友人の6人が珍しく全員金沢駅東口に集合して、駅近くの居酒屋へ向かった。

いずれも還暦を迎える年になった某証券会社社長や某校長、大手カメラメーカー課長、地元鉄道会社の部長、某銀行員と私の6名。

勿論、いづれも定年を迎える年なのですが、定年のない社長を除いて関連会社や出先機関などでまだ働くとの事。

この仲間は、ちょうど高校時代に付き合っていた仲間で、今の時代のように受験勉強のために学校へ行くものはいなかった。

この時代は、パソコンもなく携帯もなく、勿論ソーシャルネットワークなども存在していなくて、お互いに学校が終わってからどこかに遊びに行くのが楽しみだった。

大学時代も、皆さんあまり勉強しなかったのか、夏休みなどお互いの大学へ遊びに行き、バイトをしながら1ヶ月以上下宿先に潜り込んだ事もあった。

ある時はその仲間の下宿先に行って、部屋にいないことがわかり、帰ってまもなくその下宿先が全焼した事もあった。

なにしろボロボロのアパートで、学生の1人のタバコ火の不始末が原因で全焼したようだった。

振り返ってみるに、皆さんあまり将来何になろうとか資格を取ろうとかという気力は全く持っていなく、只ひたすら遊ぶ事が好きだったようだ。

新聞配達やスーパーのアルバイト、プラスチック工場の流れ作業員などをしてお金を稼ぎ、そのお金で遊んでいた。

就職してからも、お盆や正月休み毎に集まり、お互いの親睦を深め合って現在に至る。

いや、この様な友人というのは、一生付き合える仲間で、お互いの気心が知れていてとても話しやすい。

あ、うんでお互いがわかり合え、全く気遣う事もいらず皆さんは最高の仲間です。

8月9日
今日は、朝から晴れの最高気温が33℃の暑い一日。

どうもここ連日、ランや水泳、自転車など足を酷使しすぎたせいか、膝の内側が痛くて歩きに多少の違和感を感じている。

パソコンで症状を調べてみると、どうも鵞足炎のようで、その原因としてはジョギング、サイクリング、水泳の特に平泳ぎが入っている。

そういえば、土曜日に朝練をしたその翌日に早朝のランの練習をして、その翌日にはいしかわ総合スポーツセンターで平泳ぎを含む水泳をして、その2日後には京都国際会議場でトレックの試乗会で炎天下の中で50kmくらい走った。

京都駅からは、地下鉄に乗るために重い荷物を持ってかなりの距離を歩いたりしたのでさらに悪化したようです。

その間、膝の内側に違和感が有り、歩くのが少し困難になっていた。

勿論、まだ軽い症状なのでそれほど違和感がなかったが、このまま続けるとさらに悪化する恐れがあるので、久しぶりに明日(実は今日)土曜日を休息日とした。

天気予報では湿度が高く猛暑日なので、ちょうどよかったかもしれない。

よく考えてみると、ランで少し足に痛みを感じた翌日に水泳をしたが、私の専門種目である平泳ぎでキックする時に特に痛みを感じたが、クロールでどれだけ泳いでもその痛みはなかった。

やはり膝を曲げて泳ぐ平泳ぎだけが負担がかかるようで、トライアスロンではクロールで泳いだ方がいいのかなぁと思った。

あまり無理をしないように、休養という体のメンテナンスも大切な要素なのかもしれない。

8月8日
今日は、朝から晴れのかなり蒸し暑い一日。

今日は、初期オーダー提出のあと、いよいよ京都国際会議場内から試乗車に乗り、その周りの約10kmを各車種ごとに試乗していた。

まず最初には、ドマーネ4.5に乗ったが、去年乗ったとき同様にその振動吸収性の良さに驚いた。

次に、初めて乗るトライアスロンバイクであるスピードコンセプト9に乗ったが、交通量が多い道路はちと怖かったが、直線道路の走りは空気抵抗も少なくて、どんどん加速していく様子が手に取るよう分かった。

勿論、変速はカンパのEPSで、DHバーの先のスイッチ操作がとても楽で、やはり電動ならではです。

このバイクは、ドラフティング禁止のロングディスタンスかアイアンマンディスタンスに参加する人向けには最高の機材だと思った。

さらに、次に乗ったのは、トレックロード最高峰のマドン7.9で、その加速性の良さや安定性は抜群で、あまり踏み込まなくても自然と前へと加速していった。

最後に乗ったのはドマーネ5.9で、4シリーズに比べて加速性の良さがが加わり、振動が少なくて自然に前へ進んでくれるので、我々シニアにとっては一番適したロードではないかと思った。

展示会が終わり、昼過ぎに京都駅からサンダーバードに乗ったが、加賀温泉駅近くで車内に緊急サイレンが鳴り、緊急停止した。

店内放送では、地震が発生して停まったという事だったが、どこで発生して震度はどれだけかの説明がなかったのでとても不安だった。

結局は誤報で、揺れはなかったようです。

8月7日
今日も、朝から晴れの蒸し暑い一日。

その朝一番には、サイクルショップかがの社長さんと2人でトレックの展示会場である京都国際会議場へと向かった。

勿論、久しぶりに電車内でビールを呑みながら、近況についていろいろと話し合った。

我々業界の様子もかなり様変わりして、今までと同じことをしていてもダメで、いろいろな事にチャレンジしなければならない。

京都駅に着くと、外は蒸し暑く、建物内はクーラーがガンガンに冷えていてその温度差に少し体調がおかしくなった。

で、早速京都駅の11階のレストラン街で京風中華のハマムラでランチを注文したが、さすがに老舗だけあってとても美味しかった。

会場に到着すると、早速プレゼンテーションが始まり、その中でオリンピック日本代表でトレックのサポート選手である山本良介さんの自己紹介がありました。

彼は、自らトレックに出向いて、機材だけでもお安く提供してもらえるサポート選手にしていただけませんかとお願いしたそうです。

その中で、ハワイや佐渡などのアイアンマンディスタンスやオリンピックディスタンスなどについていろいろとお話されていた。

夜には、お決まりのディナーパーティーがあり、東京、広島、新潟、沖縄のプロショップの方とビールを呑みながら、ピナレロクラブで行かれたイタリアや地元の沖縄の素晴らしさについて話し合った。

パーティーの最後の表彰式で、全国で一番トレックを売っているショップがなんと、最初にトレックコンセプトショップを始められた地方のショップであるのには驚いた。

勿論、最初のコンセプトショップなので、メーカーのテコ入れもかなり大きかったようです。

と有意義な一日が睡魔とともに終わりを告げていった。

8月6日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

さて、20時からいしかわ総合スポーツセンターで水泳の練習会に参加した。

プールでは、水中エアロビクスをやる方で2コースが潰れていたので、残りの各コース3人以上で泳がなければならなかった。

ちょうど、私のコースはどこかの水泳部と思われる精鋭ぞろいで、とても速くてあの水泳部時代を彷彿させた。

確かにそのうちの一人は、50mづつ休憩しながら泳いでいたが、あっという間に25mを泳いでターンしたあともすぐに50mのゴールにたどり着いた。

そういえば、あの中学時代の1500m自由形で全国準優勝した一年先輩の山下さんの速い泳ぎが脳裏に浮かび、いつもひとりで日が暮れるまで練習していた日々を思い出していた。

まあ両者は対照的な泳ぎですが、前者はできるだけスピードを上げて泳ぐ練習をしなければならないし、後者はペース配分を考慮して、且つ速く泳がなければならない。

トライアスロンには後者の泳ぎが最適で、まさにその中の一流選手の泳ぎだった。

私もそれに刺激されて泳いだが、2日前のランで痛めた膝がまだ完治していなかったので、ブレストでの蹴足時が痛くてあまりスピードが出せなかった。

で、交互に専門種目ではないクロールでも泳いだが、まだ足への負担が少なかったので、割といい具合に泳ぐことができた。

最後には、50mや100mの短距離の泳ぎをしようと、クロールで25mを目一杯泳いでいるとあの競技時代のスピード感が次第に戻ってきた。

兎に角、50mや100mでは、無酸素運動に近い全力で泳がなければならなく、トライアスロンの泳ぎとはかなり違っている。

今度出場するスプリントトライアスロンでは距離が中距離の500mで中途半端で、その泳ぎはその両方を兼ね備えていなければならない。

ああ、もう少し泳ぎの練習をして、専門種目でないクロールで出場するかどうか決めなくてはならない。

でも、久々に全力疾走で泳いだので、有酸素運動特有の心地よい疲れを通り過ぎ、疲れた〜って感じで食欲さえもなくなっていた。

今日は、泳いだ〜って感じのとても充実した練習会だった。

8月5日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。

いや、日々の出来事の不思議を肌に感じたここ数日だった。

数日前にここでは言えないくらいの最悪な日だったが、その翌日から不思議と急展開して現在に至る。

その日は、その事を考えれば考えるほど焦り、それについて心を乱しているとさらに結果が悪くなった。

世の中捨てたものではなくて、その日の夜に救いの手が差し伸べられて、それがきっかけで翌日から好転しだした。

何事も平常心で挑まなくてはならないと分かっていても、いざその場に遭遇すると心乱してしまう。

そういえば、それを解消すべく、ランの練習に力を入れすぎた結果、あとで関節の痛みが出て、一日中歩きづらかった。

でも、それは心地いい痛みで、その痛みは徐々に解消された。

私はどうしてか、子供の時から仲間意識が強すぎて、仲間以外の方とあまり親しく話しかけができない。

例えば、戦時中に日本兵がアメリカ兵と口を聞かないに似ているのかもしれない。

そういえば、今日、スイスのチューリッヒ生まれの外人が来られてタイヤ交換されたが、片言の日本語と英語でよく話の内容がわからなかった。

とても元気のある方で、会話するたびに感極まりない大きな片言の日本語で感激の言葉を発っせられていた。

でも、言わんとしている真意は、かれこれ小一時間かかってようやく理解された。

聞くに、クロスバイクで北海道から徐々に南下して、日本縦断の旅に出ているみたいだった。

私も還暦の自らのお祝いとして、日本縦断と言わないまでも、ロードで太平洋側縦断できればと思っています。

わ〜、昨日からお店がとてもいい香りに包まれるようになりました。

これで仕事にも気合が入りますと言ってみた。

8月4日
今日は、朝から晴れのからっとした暑い一日。

その朝一番には、mixiで告知した久しぶりのC練に出かけた。

その行きには、丸岡応援ツーリングに出かけるのび太くんとパンダくんに出会い、一路集合場所の大手町ファミマに向かった。

集合場所には、ちかちゃんとその上司で初参加のDr.NAGさん、アルコさん、アルコUさん、ろどすたさん、キヨマーさん、じゅんさんの珍しく此処1〜2年に入会されたメンバーばかりが集合された。

というのは、富士ヒル組と丸岡ロードレース参加及び応援組がいなかった事もあった。

さて、Dr.NAGさんが、まだ当店でロードを買って2回目だったが、10月のスプリントトライアロンに参加されるので、あえていつものC練のスピードで走った。

坂道では少し遅れたが、さすが若いので殆どそのスピードに付いて来る事ができた。

その他のメンバーも坂が強くて、私は例のごとくだいやらに坂のたびに抜かされていた。

本来は、もう少し距離を伸ばせばいいのですが、なにしろ9時から仕事があるので2時間ばかししか走れないのですみません。

コースは、湯涌温泉手前から菅池町を登って、駒帰〜熊走へと向かった。

さらに、そこからは辰巳ダムへと向かい、ダム男さんが約2名おられたので、そこで暫しその眺めを堪能して、内川ループ坂を登り、久しぶりに武蔵のカフェアルコへと向かった。

ちょうどいい時間に到着し、最近入会されたメンバーたちと食事をしながらいろいろと話し合い、とても充実したひと時を過ごした。

毎度の事ながら、その後、急いでシャワーを浴びて、開店の準備をした。

仕事中にふとmixiを見てみると、なんと昨日花火を見ながら一緒に呑んでいた入江(町)さんが、PKで久しぶりに優勝されていたのには驚いたと共におめでとうございますとつぶやいた。

彼とはなんでも好きな事を言える仲で、お客さんというより友達の感覚で、気兼ねなく、いつも○秘の好きな事を話している。

昼過ぎには、ムラさんとセナタクさん、のび太くん、イノキさんが丸岡の帰りに寄られ、ブリヂストンサイクル館の前で灼熱の中で、私のロードも並べて一緒に洗車していた。

夕方には、優勝者の入江(町)さんと自走組のプリンスさんとパンダくん、みーさん、みっちゃんがなんと、180km近く走破して帰って来られた。

皆さんお疲れ様でした。

やはりサイクリングなどの有酸素運動は、若き?ウェルテルの悩みを和らげてくれるんだなぁと思った。

8月3日
今日は、朝から晴れの梅雨明けと思われるようなからっとした一日。

でも、それとは裏腹にちと心の中は湿っていた。

一つの事が思うように行かない時は、負の連鎖で全てが悪い方へ悪い方へと考えてしまう。

それを打開すべく、違う方へ心を持って行こうとするが、その事が心に引っかかり軌道修正できない。

ああどうすればうまくいくのかと若き?ウェルテルの悩み・・・・・・

そういえば、過去を振り返るに、そのような困難が数え切れないほど襲ってきて、その度に悩み苦しむが、何故かある時を境に自然と解決してしまうのが不思議です。

という込み入った話はこの辺で終わりにして、気持ちを切り替えてみようと言ってみた。

ああ、珍しくこの日記を書いていると、外で蝉の声が聞こえてくる。

近くでには、少し離れた大和公園内以外には木が生えていなく、滅多に蝉の声は聞こえないのだが・・・・・・

そういえば幼少の頃、金沢駅から続く中央通りには、数箇所毎に木が植えられていて、その一本、一本に蝉がとまっていて、タモでよくその蝉を獲ったのを思い出す。

その最終地点は今の長町のお寺さんで、そこには一本松が生えていて、そこで最後の蝉を獲り終え、虫かごいっぱいにして帰ったのを思い出す。

あの井上陽水の”少年時代”の曲を口ずさみたくなった。






8月2日
今日は、朝方雨が降っていたが、次第に晴れの比較的過ごしやすい一日。

今日は特別朝の5時20分頃から向かいの大和公園でランの練習をした。

その時間帯は、あまり人がいないと思っていたが、もうすでに散歩されている方が数名いらっしゃった。

2日前に、自転車で坂を含め50km、水泳は平500mとクロール100m2本、ランをkm5.5分で7周約8kmを走ったので、足に疲労感が残りゆっくり目で走った。

足もさすがにいうことが効かなかったので、km6分台でしか走れなかった。

小さい時から足が遅かった某さんも、2ヶ月ほどの練習成果でkm4分50秒で走れているのを聞くに、やはり日頃の練習が大切なんだなぁと思った。

まだ始めて数週間、苦手のランは少しづつ成果が出ているが、このままさらに練習して、kmあたり5分を切りたい。

自転車は平地主体なので、少なくともコンスタントに平均速度35km/hで走るのが目標です。

水泳は、少なくとも100m当たり2分を切りたいので、500mを10分で泳ぐのが目標です。

でも、トライアスロンという競技はトータル競技なので、あまり無理をするとその先が続かない。

兎に角、今回は完走するのが目的で、その辛さの中の楽しさも体験したい。

8月1日
今日は、朝から曇りの今にも雨が降りそうな蒸し暑い一日。

最近、世間の動きがやたら早く感じる。

何かじっとしていると、どんどん取り残されるような気がして仕方がない。

もともとのんびり屋の私にとって、次々と移りゆく変化に対応できない性格なのかそれに順応していかない。

どちらかというと、日頃考えている事を1人の相手とじっくり話し合うのが好きで、グループでのコミュニケーションは苦手です。

今、ある問題点を2〜3抱えているが、誰かとその問題点についてじっくりと話し合いたい。

仕事に関しては、スポーツサイクルの営業の方と2人でいろいろな問題点について話し合うのが好きで、それによって得るところが大きい。

果たして、本当のスポーツサイクルの動きはそれによってしか得られないような気がする。

本音と建前という言葉があるが、ただ単に移りゆく世の中の変化だけを観ていても本当の動きはわからないどころか、とてつもない誤解が生じている事がよくある。

さらに、ソーシャルネットワークの進化で、リアルタイムに仲間が何をしているのかというのが見てとれる。

それによって果たして、言いたい事が言える真の仲間を得ることができるのかというとそうではない。

やはり、私が何回も言うように、1対1の面と向かった対話でしかそれを得ることができないような気がする。

勿論、鬱憤晴らしやある事項のコミュニケーションの場としてはいいのですが、深く話し合う場ではない。

それによって一喜一憂していると、心臓がどんなにあっても持たない。

と、独り言を言っている一小市民でした。

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