2013年
1月 2月 3月 4月
5月31日
今日は、朝から晴れの久しぶりに清々しい一日。
その午前中にはなんと、平日にもかかわらず、今日お休みの入江(町)さん、みーさん、かっちゃん、徹夜続きだったセナタクさん、来月から仕事の小橋さん、仕事の合間にちょこっと寄られたまっきいさん、午後からは午前中仕事だったイノキちゃんの7名ものメンバーが来られたのには驚いた。
午後からは、今日から始まる奥島香さんの個展”太陽と月 星 ガラスの光”をセナタクさんと一緒に観に行った。
ちょうどその個展の一番乗りで、会場には作家さんとはなちゃんがおられ、いろいろとそれについてお話を聞かせていただいた。
お住まいは滋賀県で、はなちゃんの呼びかけで開催させていただいたとの事でとても感謝されていた。
いやはや、こんな小さなガラス玉がネックレスになったり、指輪になったりで、太陽の光に反射して何とも言えない光沢で輝いていた。
その後、平日にもかかわらず、次々と招待客が来られたのには驚いた。
その昼には、もうひとつの目的である加賀唐辛子入りのカレーを注文した。
それがなんと、唐辛子や各野菜類をブレンドしたシンプルなカレーだったが、とても美味しくいただくことが出来てとても満足だった。
木曜定休日で、昼の1時から9時まで開いているので、一度食べに行ってみてくださいと言ってみた。
場所は入江町で、陶庵という1階が陶芸教室になっている2階です。
今日から6月12日(水)までその個展もやっていますよと宣伝してみた。
明日はいよいよ富士ヒルクライム、夜からはその詰め込みの準備に追われた。
5月30日
今日は、朝から雨の肌寒い一日。
さて、いよいよ富士ヒルの日が切羽詰ってきて、あの24kmの坂を只ひたすら登らなければならない。
その間、約2時間どのような心境で登ればいいのか?
すぐに乳酸が溜まってくると、その苦痛に耐える事ばかり考えて登らなければならないし、次々と抜かれてくると、自分の不甲斐なさで意気消沈してしまう。
なので、そういうことを一切考えないで、今富士山を登っている喜びに浸りながら登ろうと思っています。
途中、一合目、二合目、三合目と案内標識が有り、それを通過するたびにあともう少し、もう少しと思いながら走るのですが、やはり自分のペースで走るのと集団で競いながら走るのとではその疲れが随分違ってくる。
一番理想的なのは、始めは乳酸が溜まり、痛みを感じながら走るのですが、途中でその痛みが完全に麻痺して、只乳酸による苦痛を感じないまま先へ先へと走る事です。
もう一つは、同じ姿勢で連続して登っていると次第に腰が痛くなるので、ダンシングに切り替えるのですが、そのダンシングも上半身を鍛えていないので、すぐにへばってしまう。
なので、同じシッティングでひと漕ぎ、ひと漕ぎ前傾姿勢で踏ん張って登るのが、私にとって一番理想的なヒルクライムなのではと思えてきた。
と、毎年いろいろな事を考えながら走るのですが、あまり結果は芳しくはない。
で、一切考え方を変えて、あまり無理をしないで、マイペースで誰かと話しながら走るとあっという間にゴールしてしまうのではと思った。
いや待て待て、苦痛の時間を2時間ではなくて、その半分の1時間で走ればあっという間に終わってしまうという考え方は危険すぎるのでしょうか?
と、あの苦手な登りの日が切羽詰って、少しづつうろたえて来た今日この頃だった。
5月29日
今日は、朝から雨の昨日に引き続き蒸し暑い一日。
雨の止むのを待って、朝からジャージに着替えて、誰もいない家で、10時過ぎまでずっとくつろいでいました。
すると、10時過ぎには雨も止んだので、早速、昨日のタイヤの慣らし運転もあったので、路面が多少濡れていたが、卯辰山方面へと向かった。
新しいタイヤだと滑りやすいので、特にカーブと白線に気をつけて、慎重に、慎重に運転した。
まずは、天神橋を渡り、お決まりのいつものコースで卯辰山に登った。
どうも途中から足に乳酸が溜まり、その登り速度を低下させていた。
その乳酸がたまらない方法としては、まず極限まで力を出し切って乳酸の疲れの神経を麻痺させる方法がある。
この場合、漕ぎ始めは出来るだけ強度を強くして走れれば、次第に乳酸による足の痛みは徐々に消えていく。
富士ヒルの場合はどうすればいいのだろ?
始めにある勾配のキツい坂をトルクをかけて力を出し切った方がいいのだろうか?
そうすれば、ある地点から痛みの神経が麻痺して速く登れるような気がする。
天神橋から頂上の徳田秋声文学碑の出入り口まで登って一休みしたあと、県立卯辰相撲場を過ぎて東長江の坂を降りて、再びそこから卯辰山へと登った。
さらに、鈴見台の坂を降り、若松から再び奥卯辰山方面に向かう道路まで登った。
そこからは一旦天神橋まで降りて、大手町から玉川町、さらに香林坊〜竪町から新竪町を通り、父の墓のある平和町の坂を登ってお参りをしたあと、自衛隊駐屯地から野田山〜別所へと登り、内川ループを降り、下辰巳〜北陸大学〜太陽が丘〜金沢大学キャンパスへと登り家路に着いた。
さらに近くの眠来の中華屋さんでラーメンと餃子を食べたあと、テルメ金沢へと向かった。
受付には、あの懐かしい不動さんがおられ、ちょこっと言葉を交わしたあと、いつものように湯船3回、サウナ3回入って疲れを癒した。
さらに、睡魔が襲ってきたので、休憩室で憩いのひとときを過ごした。
帰ってから、昔懐かしいフォークソング時代の名曲を聴きながら心温まっていた。l
サボテンの花 あの素晴らしい愛をもう一度 言葉にできない 学生街の喫茶店 赤ちょうちん
5月28日
今日は、朝から曇りで午後から雨の蒸し暑い一日。
九州、四国、中国地方に続き、今日は近畿、東海も梅雨入りになった。
このままだと、一両日中に北陸も梅雨入り宣言するのでは思った。
さて、そうなると当然、関東地方も週末までに梅雨入り宣言しそうで、富士ヒルの本番は雨模様な気がする。
で、今日は、暇な時間を見計らって、本番に向けての1本200gの軽量チューブラタイヤを装着した。
それを嵌め込むのは硬いってなんの、一汗も二汗もかきながらどうにか一本嵌める事ができた。
で、2本目は、ちょうど注文されていたMadoneを観に来られた2号さんに手伝ってもらい、スムーズに嵌める事ができた。
どうもありがとうございます。
昔はよくタイヤを引っ張って伸ばして装着したのですが、安全基準が厳しくなってからは伸ばしてはいけなくて、短いままで嵌め込まなくてはならなくなった。
兎に角、タイヤレバーを使ってではなくては絶対に装着できない硬さなので、予備用タイヤとしては不適格です。
まあ、最も本番中のレースのカーブで外れないようにするためには、この固さでないと危険なのかもしれない。
そうそう、それを試みている間に消防署の立ち入り検査で指摘された、出入口の鍵の壊れているのを直しに業者の方が来られたが、特殊サッシで出来ているために標準の鍵が装着できなかった。
仕方がないので、簡易式の鍵を装着したが、出入りが出来てそれで十分だと思った。
その間、2号さんが注文されていたMadoneを3号さん(おみやげありがとう)と一緒に観に来られたが、チームカラーの軽量ロードにとても満足されておられてホッとした。
その間、久しぶりにジャイアントの営業の方が来られ、ロード市場についていろいろ話されているのをお聞きしてとても参考になった。
やはりアメリカでは、トレックが圧倒的なシェアを独占しているのには驚いた。
その戦術をお聞きして、なるほどなぁと感心した。
でも反面、その戦術をそのまま日本に持ってきてもどうかなぁと思った。
明日は、晴れ間を見計らって、タイヤの慣らし走行をしま〜す。
5月27日
今日は、朝から曇りのどんよりした空模様の一日。
私の朝起きる時間についてちょこっと書いてみます。
早い時は、3時前の2時台に起き、この日記を書いたあと、うとうとして朝を迎え、遅い時は4時過ぎに起き、この日記を書いたあと、うとうとせずに朝を迎えます。
前者の場合は、その後、あまり頭がすっきりしないで、仕事に就くわけですが、そうすると、一日中時々睡魔が襲ってくる。
で、後者の場合は、頭がすっきりしていて、ほとんど睡魔が襲ってこないで、一日中快調に仕事に取り組む事ができる。
さて、例外として、6時から7時に起きると、寝すぎているせいなのか、これ又、昼食後に睡魔が襲ってくる。
結論としては、3時30分から4時30分の間に起きるのが理想的で、あまり睡魔が襲って来なく、一日中すっきりして仕事に就く事ができる。
只、朝練がある時は、その強度によって睡魔の発生が変わって来て、あまり強度の強い朝練の場合は、どんな時間に起きても眠くなる。
そういえば、その朝練の土日や祭日の時は、例えどんなに疲れていても絶対に休む事ができず、すぐに仕事に就かなくてはならない。
それでかれこれ、数十年間そうしている。
本当は、その後、シャワーを浴びてゆっくりと寝れるのが理想的なのですが、そうすると仕事にならない。
ああそうそう、今現在のように湿度と気温の高い体がだるい時は、あまり無理をすると、ぎっくり腰になるので要注意です。
これによって過去何回かぎっくり腰になった事があり、そういう場合は、あまり無理をぜずに休んだ方がいい。
一つ言っておかない事ありまして、先日、河川敷でバーベキュー大会をした時の残金は、我サイクリング仲間のアルコのとある子さんの送別会の時のプレゼントとして、入江(町)さんから彼に渡されたキャノンディールのメッセンジャーバックになりましたのでよろしくお願いします。
5月26日
今日は、朝から晴れの夏日の暑い一日。
その朝一番には、ゆるポタ企画の喫サイクルに参加する為に、あえて卯辰山を登ったあと、集合場所の大和公園へ向かった。
集合場所には、セナタクさんとガノくん、ハタナカくん、イノキちゃん、くるみさん、久しぶりのあひるちゃんが集合し、古き良き金沢の風情のある街並を通って、寺町の入り組んだところにある見晴台のガノスポットへと向かった。
途中、ハナちゃんから電話があり、少し遅れて大和公園に集合されたとの事で、犀川沿いに寺町方面に向かってくださいと返事した。
途中でギアトラブルがあり、遅れるとの事で、その寺町周辺から本多町を通って、風情のある公園の彦三緑地に向かって走った。
ツツジやボタンの時期が少し過ぎていたが、金沢らしい古い蔵の資料館やなんとも言えない木の幹がむき出しでやせ細った曲がりくねった木が青々とした葉をつけて生き延びているのは驚いた。
そこからは、目的地の尾山町の純喫茶ラスカルへと向かった。
そこは昭和ロマンを彷彿させるような作りの店内で、又、そのモーニングセットも大きいバナナやハム、ゆで卵、サラダなど量が多く、お腹が膨れてとても満足だった。
なんと、ハナちゃんが途中から来られた時は、既に食べていた我々のモーニングセットで品切れになったのには驚いた。
まあ、午前中はこれくらいのお客さんがモーニングセットを注文される予測を立てていたんだろうと思った。
そこが家庭的で、あの大手チェーン店にはないとても落ち着いた雰囲気の中、皆んなでとても楽しいひと時を過ごした。
その後、イノキちゃんのはじめで終わりの富士ヒルの練習にセナタクさんとくるみちゃん、ガノくんが向かい、ハタナカくんとあひるちゃん、ハナちゃんと私の4人は当店へと向かった。
で、本日のゆるポタ走行距離はなんと、8kmだった。
又、子育てで全くロードに乗れなかったあひるちゃんは、家から大和公園前の数キロでバテたそうです。
昼過ぎには、ハタナカくんとのまちさん、セナタクさん、イノキちゃん、くるみさんが当店に集合し、大乗寺の座禅ポタへと向かった。
夜には、美山ロードレースに参加されていた入江(町)さんとパンダくん、みーさん、みっちゃんとセンチュリーライド若狭に参加されていたDRYさんとsuperDRYさん、Iさんと私の8名でPKルームでこじんまりと打ち上げをした。
その両方のしゅばらしいお話にとても感動したが、次第にオネムになり、横になって眠りのひと時を過ごしてしまった。
5月25日
今日は、朝から晴れの日差しは強いが比較的清々しい一日。
その朝一番には、朝練の集合場所の大手町ファミマに向かった。
集合場所には、約20名が集合されていて、いつものコースを通って、熊走大橋から帰宅組と犀鶴林道組とに別れた。
なんと、あの新メンバーのヤングさんとろどすたさん、ちかちゃんは登りが速く、始めてロードに乗ったとはとても思えなかった。
私は、仕事があるので帰宅組に入り、そのまま末町から田上のディプシーでSRYさんとキヨマーさん、まっきーさんの4人で朝食をとり、ろどすたさんとyouさん、ヤングさんは用事があり、そのまま帰られた。
ディプシーでは始めてモーニング以外のパンを食べたが、あの黒豆入りのパンは、豆がぎっしり詰まってとても美味しかった。
明日DRYさんが参加されるセンチュリーライド若狭や来週DRYさんとまっきーさんが参加されるGF富山などの話題で盛り上がり、とても楽しいひと時を過ごした。
さて、お店に着いて着替えた途端、次々とお客さんが来られ、商談や修理で午前中は息つく暇もなかった。
又、9時からボブハウスに行かれるハタくんとトトロさんがすでに当店に集合されていて、初ボブのまっきーさんの3人で鶴来方面に向かわれた。
午後からは、お客さんである他のチームのメンバーのフィアンセのよぴこさんが我サイクリング仲間に入会されたので、皆さんよろしくお願いします。
mixiにも加入されているので、皆さんお友達になってください。
私は、今反省しなければならない点が一つある、
それは、物事をやったあとを振り返らずにそのままにしておく事です。
それによって、あとで振り返ってみても、それが元通りではないために、どこいった、どこいったと慌てふためくのです。
さらに、せっかちなのか、物事をやるにしても、ひとつの行動をすればスムーズに物事が運ぶのに、それを飛ばして直接やるために無理がかかり、いろいろとトラブルが起こってしまいます。
人に言われてもなかなか治す事ができないこの性格、誰か治してくださいと言ってみた。
5月24日
今日も、朝から晴れの午後からは夏日の暑い一日。
その朝一番に各取引先やサイクルスポーツの営業の方が珍しく東京、名古屋、大阪から次々と来られた。
そのサイスポの営業の方は、以前にフィットネスで水泳のインストラクターをやっておられ、転職をきっかけにトライアスロンを始められた。
そういえば、当店も以前はトライアスロンをやられる方が多く、私も一回だけそれに参加した。
その中で、水泳はちと苦手だったが、ランがとても速くて、各大会でほとんど入賞された女性の方がおられ、内灘のトライアスロン、鶴来のディアスロンなどの多くの大会で優勝されていた。
さらに、石川県のトライアスロンの発展に大いに貢献したマドンナ的な存在の女性の方もおられ、我PKでもとても盛り上がった時期もあった。
男性でも、みやじぃや山下くん、バンさんなど我PKでも何人かはそれに参加されていた。
みやじぃも速かったが、バンさんは、珠洲のトライアスロンや小松のディアスロンに何回か優勝している強豪だった。
モトくんもトライアスロンには参加されなかったが、小松のディアスロンにはよく参加していた。
あの感動をもう一度、じゃないけれど、我PKでもトライアスロンチームを発足しようと思っています。
もし興味のある方おられたら、チラッと声をかけてください。
我が店も、将来は経営の柱のひとつになればいいのになぁと思っています。
で、手始めに本格的ではなく、ショートトライアスロンから始めるつもりなので、水泳、ランが苦手な方でも大丈夫ですよと言ってみた。
まずは6月下旬から受付の長岡いきいきトライアスロンから始めませんか?
水泳500m、バイク25km、ラン5kmのショートトライアスロンで初心者にはもってこいの大会ですよ。
で、メンバーがある程度揃ったら、一度簡単な発足会を催しますのでよろしくです。
5月23日
今日は、朝から晴れのちと蒸し暑い一日。
あの姜 尚中が、ついにあの最も彼自身影響された夏目漱石の小説”こころ”に対する思い入れを書いた長編小説”心”が発売された。
まだ私は姜さんの小説は読んでいないが、時間があったらその本を買いに行こうと思っています。
確かに”こころ”は、あの松山を舞台にした面白可笑しく描かれた坊ちゃんとは一味違った小説で、過去に映画化もされ、親友との恋愛での葛藤を描いたとても興味深い作品です。
そういえば、ここのところ、仕事とサイクリングが忙しく、本を全然読んでいない。
この日記も、読んでいた当時より文章力が劣り、読みづらくなっているようで反省しています。
まだ、このような小説なら"こころ"から楽しく読めるが、経営本やコンサルタント本などは一見とても役に立つように思われるが、実はどんなに読んでも自分自身の考えではなくて、所詮他人が考えた戦略で、真新しいものがなく、それを実行してもあまり経営的には効果がない。
よく言われる経営コンサルタントが、自分で経営すると必ずと言っていいほど潰れるのは心理なのかもしれない。
そのコンサルタントの言う事を本気で実践している経営者も又、大概の場合は成功しない。
やはり、自分が長年培った思い入れをそのまま実践した方が余程効果があるように思う。
突然話題が変わりますが、人はある事をきっかけに大変身することがある。
それは日頃は、のほほんとしているのですが、ある日突然、大変身して自分の思い入れを実践に向けて突き進んで行っている。
私も、その思い入れにとても共感すると共に仕事も絡んで、もう一度やって見ようという気にさせています。
又、話が突然変わりますが、Facebookに経営の指南書の書き込みがあり、興味深く読んでいたが、確かにその問題点に対しては興味深かったのですが、それをあえてやらないでどこまでも突き進んで行ったのが、あのかってのダイエーで今のイオングループだと思った。
又、又、突然話が変わりますが、世の中には不思議な事があるものです。
当店の防災で切羽詰って直さなければならない箇所があり、自分ではどうしようもなく思いあぐねていると、突然みやじぃが来られ、業者に電話をかけてもらって一見落着となった。
それは、ブリヂストンサイクル館を建てる時もトイレを直す時も必ずといっていいほど、突如として現れるのはとても不思議だった。
ひょっとしてテレパシーが通じているのではと思ったくらいです。
今回の場合もあとで、なんでマスナガに来たんやろと言っていた。
どうも全体にコロコロ話題が変わる、ハギレの悪い日記になってすみませんでした。
5月22日
今日は、朝から晴れのからっとした比較的過ごしやすい一日。
その朝一番には、水曜サイクリングの集合場所の大手町ファミマに向かった。
集合場所には、セナタクさんとプリンスさん、くるみさんがおられ、その後、初参加のゆーみんさんが集合された。
で、さて何処を走るかと考えるに、初心者のゆーみんさんがあまり負担のかからない定番のCCZへと向かった。
兼六園下〜小立野〜笠舞〜菊川町へと向かい、犀川河川敷サイクリングロードに降り、さらに、赤土〜佐奇森〜専光寺へと向かった。
ゆーみんさんもそれほど遅れる事もなく、皆さんと同じようなペースで順調に走っておられた。
というのは、なんと毎日1時間近くランの練習をされ、フルマラソンにも参加され、水泳もされているのをお聞きしてなるほどなぁと思った。
で、さらに安原〜打木〜八田〜相川へと向かい、目的地のCCZに到着した。
なにしろ、通勤時間帯だったので、あまり車の通らない道を選んで走ったつもりだが、その時間帯はかなり車が多かった。
CCZでトイレ休憩したあと、まだ十分に余裕が感じられたので、久しぶりに海岸線沿いのサイクリングロードで美川へと向かった。
途中、その広大な海を観ながら走っていると、身も心もとても清々しい気分になった。
その到着点の美川大橋から美川駅内にある美川37cafeに入り、モーニングを注文し、初参加のゆーみんさんについていろいろとお聞きしていた。
その後、腹ごしらえが終わったあと、さらに手取川沿いに上流へと向かった。
川北大橋を過ぎてからは、右折して北陸先端大学への坂を登り、小松方面へと向かった。
その途中からは、鳥越に抜ける中ノ峠へと向かったが、さすがにゆーみんさんは、ランとは使う筋肉の違うロードでの坂道はかなり堪えたようだった。
で途中の木陰で少しづつ休憩を取り、補給しながらどうにか中ノ峠から鳥越に抜けることができた。
やはり、初心者にはちと難コースだったのかもしれない。
その後、時間がなかったので、鶴来から山環を通って、予定より30分遅れて目的地に到着した。
なんと、初心者で100kmを走破したのは大したものだ思うと同時に、ちとハードだったと反省した。
その後、昼食を取ったあと、私とセナタクさん、くるみさんの3人で、恐れ多くも田島1号線に登ったが、こんなにきつかったかなぁと今更ながらそう感じた。
で、ようやく医王の里に到着した時は疲労困憊で、夕霧までとても無理だと思った。
帰ってきて、2時間あまり休憩したあと、再び卯辰山へと向かった。
さらに、そこから野々市方面に向かい、家路にたどり着いたのは7時30分過ぎで、なんと今日の走行距離は150kmを突破してたのには驚いた。
その後、PKルームでハタくん、トトロちゃんの結婚お祝いの会の打ち合わせをしていたPKルームに顔を出し、まっきーさんのおいしいカレーと3号さんのおいしい野菜を食べたあと、そのルームで沈没してしまった。
皆さんお疲れ様でした。
5月21日
今日も、朝から晴れの暑い一日。
あまり忙しすぎると、ふと心に隙間が出来て、ちとセンチメンタルになる事はありませんか?
特に楽しい事の連続の日々を過ごすと、突然、ふとネガティブになり、いろいろと負の事を考えてしまう。
やはりそれは人間が持って生まれた生理現象で、楽しい時の笑いがあれば、悲しい時の涙、怒った時の憤りがあるのと同じなのかもしれない。
人生、良き事ばかりあるならば、その他の負の生理現象はひとつもいらない。
ひょっとして、その陽と陰の繰り返しによって、人間は少しづつ成長していくのかもしれない。
年月を重ね、その成長の行き着く先は、無の境地になり、それによって人生を全うするような気がする。
それに耐え切れなくて途中で放棄すると、自殺という形になり、神の意に反する行為となる。
そこを耐え忍んで、耐え忍ぶと不思議と負の要素が自然と消え去ってしまうから不思議です。
で、次回はそのような出来事があっても耐え忍ぶ能力が備わり、それをすぐに克服してしまう。
と、あまり変化のない日はこのような意味深な話になってど〜もすみませんと言ってみた。
5月20日
今日は、朝から晴れの比較的暑い一日。
でも、まだ夏日ではなくて、まだ我慢できる暑さ。
人間、いつ何時でも常に何かを考えながら生きていかねばなりませんね。
その思考が途絶えて、何も考えずにぼーっとしていると、ますます頭が退化してやる気のない廃人同様になってくる。
特に、テレビのつまらないお笑い番組を何も考えずに、只ぼーっとしてみているだけでもそうなる。
さらに酷くなると、それさえ観ている気力がなくなり、廃人同然になることです。
その現象は特に、例えば何か自分にとって最大の人生目標であった事を成し終えたあとや激しい恋に敗れた時にも起こってくる。
その燃え上がる目標が途絶え、その後、すぐに目標をつかみ、それに向けて再び燃え上がるならいいのですが、その気力がなかなか湧いてこないのが事実です。
それがいわゆる世間で言う欝状態なのかもしれない。
我々の年代になると、山あり谷ありで人生いろいろな事を経験しているので、その燃え上がる対象がそれ以上に大きくなるためになかなか見つけにくくなる。
長く続けていた仕事を退職して辞めた時や病気になった時は特に注意しねばならない。
その両方を回避する方法はないかと考えるに、やはり自分にとってはサイクリングに関する事でしか見い出せなくなっている。
朝練、ゆるポタ、ロングライドなどその楽しみに取りつかれるとぼーとしている時間が意外となくなってくる。
その最後の目標であるトライアスロンにもう一度挑戦してみたいと思っていますが、この場をお借りして誰か挑戦してみようという方おられますかと言ってみた。l
もし、我サイクリング仲間にそういう方がおられたら密かにご連絡ください。
とりあえず、超初心者用の今年の10月6日(日)に開催される悠久山、東山わくわくトライアスロンに参加してみませんか?
スイム550m、バイク25km、ラン5kmで海ではなくて、プールで泳ぎますのでウェットスーツも必要ありません。
朝の涼しい交通量の少ない時間帯にバイク&ラン、昼や夜の暑い時はスイムって具合に・・・・・
5月19日
今日は、朝から曇りで次第に雨の比較的涼し一日。
その朝一番には、昨日と同様、集合場所の大手町ファミマに向かった。
鈴鹿組やお勤め組が居なくて、昨日より参加者が少なかったが、それでも10名もの参加者が集まっていた。
で、私は、ちかちゃんに7時30分までに帰らなければならないとお聞きしていたので、犀鶴林道を登られるくるみさんらと小立野〜大桑経由で野田山〜別所に登って、ループトンネルを下り、辰巳ダム方面に向かった。
そのダムで、犀鶴林道組と別れ、ムラさんとDRYさん、ちかちゃんと私の4人で、その途中で北陸大学〜太陽が丘の坂を登り家路へと向かった。
途中お腹が空いたので、ムラさんとDRYさん、私の3人で武蔵のカフェアルコで朝食を取りながらいろいろとサイクル談義に弾んだ。
店は、午後から雨が降ってきて比較的暇だったが、納車整備や説明、さらに組立でそれなりの時間を費やした。
夜には、我サイクリング仲間でカフェアルコブレーゴ店長のアルコのとある子さんが明日退職して、語学学校に通われるために、そのお別れ会にイノキちゃんとくるみさんの3人でその会場の片町ブレーゴへと歩いて向かった。
会場には、すでにかっちゃんとみっちゃん、さよちゃんが呑んでおられ、一目瞭然でかなり酔いが回っているようだった。
さらに、SuperDRYさんと入江(町)さん、みーさん、遅れてパンダくんも来られ、総勢10名もの大所帯になった。
PK以外では、某大学の先生や同級生、広告会社のお姉さんなど15名ほど参加され、とても楽しい送別会となった。
某大学の先生は、大学に赴任したばかりの東京育ちの都会的知性派の方だった。
又、印象に残ったのは、某お姉さんの別れ話で、なるほど女性はこういう時に別れを告げるんだなぁと思った。
何か、大雑把に聞いていると、その理由が自分に言われてるような錯覚に陥った。
でも、詳しく聞き入っていると、ちと違っていたので少し安心した。
いや、アルコのとある子さんは、最後までお客さんの為に接客されるその姿はさすがだと思った。
最後にある女性が泣いておられているのを観るに、やはり女性心をくすぐる最高の店長だったのがわかった。
5月18日
今日は、朝から晴れの暑い一日。
その朝一番には、A&C練の集合先の大手町ファミマに向かった。
集合場所には、初参加のキヨマーさんを含め14名が集合し、金沢大学方面に向かった。
途中、大学前でA練、C練と別れ、それぞれ医王山ビジターセンターとキゴ山へと向かった。
で、C練は医王山スキー場手前の激坂を登って、キゴ山へ行こうとしたが、どういう訳か皆の暗黙の了解で、さらに夕霧へと登ってしまった。
でも、キヨマーさんも初参加ながらも付いて来られ、まっきーさんも順調に登っておられたので、医王の里で休憩したあと、さらに上へ上へと向かった。
途中、何人かのローディたちが次々と坂を下って来られた。
新メンバーのろどすたさんとカーキーさんは、若いのもあって、先へ先へとスイスイ登って行かれたのには驚いた。
なんか近いうちにA練に加わるのではないかと思った。
私はというと、人のペースに惑わされずに、ひとり飄々とマイペースで坂を登った。
でもさすがに、夕霧最後の勾配のきつい坂では、足に乳酸が溜まり、しんどかった。
で、ようやく頂上に辿り着き、そこで皆んなと記念撮影をしながら、富山側の霧のかかった神秘的な山々を堪能した。
これで、私は3日間で2度登ったことになり、富士ヒルのいいトレーニングとなった。
下りの途中では、寝不足なのか、疲れて死んだような顔をしたみっちゃんが登って来られた。
途中、金沢大学の向かいのサークルKで暫し朝食がてら休憩したあと、家路へと急いで向かった。
店は、朝からとても忙しくて息つく暇もなかった。
夜には、我サイクリング仲間のゆるポタ部で、久しぶりにあみちゃんを抱っこしたあひるちゃんを囲み、登美さんで一杯やった。
でも、私は後半睡魔には勝てずに沈没したが、とても楽しいあひるちゃんを囲む会だった。
5月17日
今日は、朝から晴れの、久しぶりに春らしい寒くも暑くもないちょうどいい気温の一日。
こういう春の陽気って、今年何回あったのだろうと考えるに、まだ一日もなかったように感じたのは私だけなのか・・・・・
テレビのニュースじゃないけれど、最近次第に中国でのOEMや製造から撤退している日本企業が多くなって、中国は仕事が少なくなり困っているようです。
確かに、Made in Chinaの自転車に関しては、あまり品質が良くないので、各メーカーも早く撤退した方がいいのでは思っていたところでした。
地球環境を破壊して、PM2.5を撒き散らし、わがもの顔で好き放題にやっている大陸気質の中国にはあきれ果てていたところだったので、その日本企業の撤退はちょうど良かった。
このまま好き放題にしていると、さらに異常気象を引き起こし、人類が地球上に住めなくなるのではと危惧している。
さて、話が変わるが、あの昨日の探し物の件なのですが、なんとノートパソコンカバンの中にあったのです。
サイクリングから帰ってきて、データーをアップしようとして、次の日にブリヂストンサイクル館に持って行くそのカバンの中に入れたのを忘れていました。
と言って、そのカバンの中を何回か調べたのですが、そのメーターに触れる手の感触がなかったのは不思議です。
多分、せっかちな性格上、あまりひとつの物事を入念に時間をかけてきちっと調べなかったからかもしれない。
まず、何かを取り出すにしても、その間のひとつの動作をすればより簡単に取れるものを、せっかちな性格上、それを省略して取ろうとしてものをぶつけたりするのです。
さらに、ものを置くにしても、考え事をしながら置くと、その後、何処に置いたか分からず、小一時間探し回っているのも度々です。
午後からは、新たに我サイクリング仲間に入会されたゆーみんさんが、ニューロードを取りに来られた。
で、来週の水曜サイクリングは、初心者サポートサイクリングをしますので、時間がある方は、朝6時30分に大手町ファミマに集合してください。
始めてのロードなので、主にゆるポタコースを走りますので、そこのところよろしくです。
又、明日のC練には、またもや新メンバーのカーキーさんも参加されるので、振るっての参加よろしくです。
そうそう、我サイクリング仲間でトライアスロンに挑戦してみようと思っている方おられませんか?
もしおられたら、私の方にご連絡ください。
さて、そろそろあしゃ練の時間が迫ってきたので、この辺でお開きにします。
5月16日
今日は、朝から曇りで時々霧雨が舞う肌寒い一日。
今日の早朝に我息子がアメリカの某大学大学院を2年経たずして修士の学位を取り、無事卒業して帰国しました。
なにしろ荷物の量が中途半端ではなくて、スーツケース2個とカバンひとつをあのアメリカから持ち帰ったのです。
あとは、宅配便で送ったようだが、その金額はかなり高額で、数万円だったようだ。
この中途半端な時期に日本での就職は困難なのですが、ある仕事に就きたいので東京で数社面接をして帰ってきたようです。
成績は、カルフォルニア大学教授の講義がとても難しくて1単位だけBだったが、あとは全てAだったのでどうにかならないかと思った。
でも、この時代の就職となると、学業成績だけでは受からず、いろいろな要素を兼ね備えてなくてはならないのでなかなか難しそうです。
まあ、人生にとって若い時しか経験できない事を体験してきたので、高い授業料だったが、海外の大学院へ行かせてよかったと思った。
当家でひとつ変化があったのは、今まで菓子類が必ず残っていたが、一日で何も無くなった事です。
大学まで硬式野球をやっていたので、体が大きく、特にアメリカでの食生活に慣れ、食べる量も半端ではなかったからかもしれない。
店は、鬱陶しい霧雨のぱらつく、肌寒い天候だったので、それほど忙しくはなかったが、昨日つけていたスピードメーターのemetersが無くなったのでそれを探していた。
確か、昨日帰ってきた時にはあったのだが、それを外したところまでは覚えているが、それをどこに置いたかがわからない。
そうなのです、無意識に置いたあと、何処に置いたか分からず、一日中探す事はよくある事です。
それを治そう、治そうと思っても、疲れた時や他に神経が集中している時は必ずと言っていいほど無くしてしまうのです。
それを無くするための何かいい方法はないものですかねと言ってみた。
という訳で、明日も又店内と部屋を探してみます。
5月15日
今日は、朝から晴れの昼間は汗ばむくらいの暑い一日。
さて、富士ヒルクライムがいよいよ来月早々に開催され、まだその練習をほとんどおこなっていない。
で、朝6時からその練習も兼ねて、今年始めての夕霧峠に挑戦した。
勿論、速いペースだと途中で挫折しそうだったので、自分のペースでゆっくり登った。
辛かったのはやはり、医王山スキー場と医王の里の手前の激坂。
まだ足に乳酸が貯まり出す途中だったので、尚更、辛く感じたのかもしれない。
その二つの激坂を登りきり、その後は、ある程度の勾配の坂を只ひたすら淡々と登って行った。
西尾平からも雪がなく走れたが、さすがに頂上付近の日の当たらない場所には残雪が残っていた。
ようやく頂上までたどり着き、今年初登頂の記念撮影を撮ったあと、いよいよ富山側に降ろうとしたが・・・・・・
なんと、イオックスアローザー側の道路はまだ雪に埋まっていて通れなかった。
仕方がないので、反対側の百万石街道を走ったが・・・・・
なんと、なんと、そこは通行止めで、所々には残雪が残っていて、落石、がれき、土砂が崩れて慎重に、慎重に下らないと転倒するくらい悪い路面であった。
どうにかそこを通過して、ようやく医王山県立自然公園に出ることができた。
そこからは一気に下ると、医王山トンネルの手前の県道27号線の坂に出て、さらに一気に福光の街へと下った。
そこからは、だたひたすら高岡方面へと向かった。
ようやく高岡にたどり着き、去年、当店と同時期にお店を改装された同業者のお店に入り、いろいろと改装に当たっての苦労話や業界の現状について延々と話し合った。
そこからは、さらに近くのある取引先の会社にお邪魔し、たまたまおられた社長さんと応接間に案内され、業界の現状についていろいろと話し合った。
さらに、昼時だったので、近くの蕎麦屋さんで美味しいおそばを食べながら、さらに突っ込んだお話を時間をかけて話し合った。
そこでかなりの時間を費やしたあと、小矢部の埴生から倶利伽羅古戦場跡〜倶利伽羅不動寺へと登り、そこを一気に下り、津幡の街を通って河北潟干拓道路〜才田へと向かった。
さらに、そこからは変態?トレーニングとして、なんと卯辰山を3回登った時はさすがに疲れきってしまったが、逆にとても心地よいトレーニングでもあった。
走行距離はすでに、150kmを突破していた。
いや、富士ヒルのトレーニングには最高の一日でもあった。
5月14日
今日は、朝から晴れの蒸し暑い一日。
その暑さも、スポーツサイクル館とブリヂストンサイクル館では午前と午後では正反対。
というのは、前者の修理場が東向きで午前中直射日光が差し込み、後者が西向きで午後から直射日光が差し込む。
午前中はまだそれほど日差しが強くなくて、午後からが強くなるために、ブリヂストンサイクル館での組立作業は暑さとの戦いです。
それもその作業場は風洞室の総ガラス張りで、直射日光がもろに当たり、そのままだと汗が滴り落ちながら作業しなければならない。
で、ポスターや横断幕を貼って直射日光を遮るも、その放射熱を完全に遮る事はできなく、まだ暑くて汗ばんでしまう。
エアコンを付けるには、まだそこまでの気温ではなくて、扇風機と入口のドアを開けて暑さを凌いでいる。
かと言って、修理場を店内に設置しようと思っても、その空間を確保するのが困難で、展示方法も一から見直さなければならない。
何かいい方法がないでしょうか?と問いかけてみた。
ブリヂストンサイクル館は、駐車場の奥にあるために、道路からはあまり目立たず、一般車を買いに来られるお客さんはスポーツサイクル館へ行かれる方が多く、その対応策が何かないものかと日々考えています。
観に来られるだけのお客さんにすぐに声をかける訳にもいかず、かと言ってそのまま気づかずに返す訳にもいかず、ひとつの悩みどころです。
という、取り留めのない暑さに対する両館のお話でした。
今日、言いたいことがあったのですが、時間がないので後日アップします。
あれ?もうこんな時間になってしまったので、今から?峠経由で高岡まで行ってきます。
5月13日
今日は、朝から晴れの初夏の陽気を思わせるとても暑い一日。
その陽気が仇となったのか、ブリヂストンサイクル館にいてもその暑さでついついウトウトしてしまった。
ここでPKルームでうたた寝をしてしまうと、その時に限ってお客さんが来そうでじっとその睡魔と戦って起きていた。
この日記では書けないが、私にとって?に次ぐ計画を是非実行したいと思っています。
人間、ある構想を頭の中に描き、少しづつ現実味を帯びてくると、それが生きがいになって来るのです。
それが何年かかろうと、その思いさえ途切れなければ実現するような気がする。
人は、何か新しい事をやるにあたって、そのまま踏ん張ってずっと続ければいいのですが、必ずある事に挫折して諦めてしまう人が多い。
で、さらに新しい事にチャレンジするが、やはり同じように挫折して諦めてしまう。
でも不思議と自転車に関してだけは、ずっと長く続けている方が多いのは、やはり体にやさしいスポーツなのかもしれない。
欧米では、定年後の年配の方が草原を颯爽とサイクリングしている姿をテレビや雑誌でよく見るに、とても息の長いスポーツであるのがその事で証明できる。
私も、ロードに乗ってかれこれ30年以上になるが、見たことのない風景を堪能しながらのサイクリングが一番好きで、いろいろなところをひとりでよく徘徊したものです。
その土地、土地によっての趣が微妙に違っていて、その雰囲気を一旦味わうと病み付きになってしまいます。
今年も見ず知らずの土地に行って、いろいろな場所を徘徊したいものです。
で、水曜サイクリングもふらっと一度も行った事のない土地に行ってみたいものです。
その感受性は、ゆるポタ代表のハタナカくんやガノくんと共通しているのかもしれません。
取り留めのない話になったが、今日はこれでお開きにします。
007Skyfall
5月12日
今日は、朝から晴れの絶好のサイクリング日和の一日。
その朝一番には、朝サイクのために集合場所の大手町ファミマへと向かった。
その集合時間の朝6時には、なんと私も含めて19名もの大所帯のサイクリング仲間が集合した。
さて、夕霧?田島2号線?などと詮索しながら、珍しく合同で金沢大学方面へ向かった。
金沢大学前〜ごみ捨て場〜森本方面に抜ける林道〜二俣〜田島2号線〜見上峠〜王道線〜湯涌街道へと向かった。
で、湯涌街道の途中で、帰宅組と熊走方面へ行くグループに分かれてそれぞれの目的地に向かった。
私は、仕事時間の9時が迫っていたので、湯涌街道を一気に降りて家路へと向かった。
アメリカでの1年間のブランクがあったあっこちゃんは、坂道で疲れながらも降りずに登り、GF富山に参加されるまっきーさんも練習がてら快調に淡々と坂を登ることができ、初めての朝練参加にかかわらず、私より早くビンディング無しで坂道を登ったちかちゃんにはとても驚き、腰痛にもかかわらず坂道を飄々と登って行くセナタクさんにも驚き、途中で立ちゴケしてタイツを破いたろどすたさんはちと残念で、残りのメンバーは、笑顔であっという間に坂を登って行ったのには只只、驚くばかりだった。
店は朝から忙しく、帰ってくると同時に商談や納車整備に追われた。
特にスポーツサイクル館が忙しく、ちょくちょくそちらの方の応援に向かった。
でも、ブリヂストンサイクル館も忙しくない訳でもなく、それぞれが接客したお客さんをそちらの方に案内して商談していた。
今日、その中で我サイクリング仲間に加入されたTIMEを買われたキヨマーさんとろどすたさんんとyouさんの同僚のたけこさんがmixiのサイクリング仲間パワーキックに加入されたので、皆さん、お友達になってください。
昼過ぎには、我サイクリング仲間のバーベキュー大会が近所であり、仕事の合間を見計らってそちらの方に向かい、バーベキューをちょこっと食べて皆さんと楽しくお話をしていると、突然電話が鳴り、お客さんが次々と来られれているとの事で、急遽、お店に向かった。
ぞのままお客さんが途切れることがなかったので、再び戻れなかった。
そうそう、昨日結婚式を京都で終えられたハタくんとトトロさんがお店に寄られました。
二人だけの結婚式もいいものですね。
末永くお幸せに
今日は、変化に富んだとても楽しい日曜日であった。
5月11日
今日は、朝から雨のぐずついた一日。
わー、久しぶりに仕事の事について少し書いてみます。
兎に角、最近の傾向としては、老若男女を問わず、初心者の方がスポーツサイクルに乗られる傾向が強く、クロスバイク、ロードバイクと5〜30万円までの価格帯がよく売れている。
といっても、私はブリヂストンサイクル館に居て、一般車を扱っているのでその購入目的などに詳しい事はわからないが、レース志向ではなくて、サイクリングを楽しむという傾向のようです。
確かに、最近では雑誌やテレビでのスポーツサイクルに乗ってる姿がよく目につくので、その姿に憧れて購入される方が増えているようにも思う。
女性にとっても減量効果が有り、仕事で忙しい人にとってもストレス解消になり、病気がちな人にとっても有酸素運動でがん細胞の発生を抑える効果もある、環境にやさしいとても素晴らしい乗り物です。
でも、ちと張り切り過ぎると、翌日筋肉痛になったり、眠くて仕事にならない事もあるが、いい意味での疲れ具合で、その間、心も体もリフレッシュしてくれていろ様な気がする。
私もロードに乗り始めてん十年、仕事抜きにしても一度も辞めようと思ったことはない。
むしろ、ロードに乗る時間を捻出して、増やそう、増やそうと思っているくらいです。
朝早く起きる傾向になったのも、暗くなくて、交通量が少なく、仕事のない空いている時間帯がその時間だったので、自然とそうなったような気がする。
この日記も当初は夜に書いていたが、早く起きる傾向になってからは、睡魔がすぐに襲ってきて書き続けていられなく、頭のすっきりしている朝に書くようになった。
兎に角、この生活パターンになってから10年近くになるが、その間、心も体も健康そのものです。
さらに、素晴らしいサイクリング仲間とも出会え、ほんの小さなサイクリングという世界ですが、それによって最高の人生を過ごさせていただいているような気がする。
5月10日
今日は、朝から曇りの蒸し暑い一日。
以前にもこの日記で書いたのですが、どうも春や秋は、本来は暑くも寒くもないちょうどいい気候なのですが、最近の様子を見ると、その過ごしやすい気候の時期が極端に少なくなっている。
これは、日本古来の曖昧で侘び寂びのある趣ある季節が失われつつあるのか・・・・・
それは、白黒をはっきりさせなく、何となくどっちにも取れる曖昧さがある日本人の心も終焉を迎えているのかもしれない。
春の本来の姿は、ポカポカ陽気で暑くも寒くもなく、芝の上で寝そべっていると、ついつい眠ってしまいそうな季節。
今年のようにじっとしていると寒い日か、動くと汗が出るくらいに暑い日のどちらかの天気の日が続いている。
秋にしても、暑いと思った次の日からは急に寒くなり、気温が180℃ひっくり返る極端な気候になっている。
ああ、本来の日本人の心の様な春と秋が早く戻ってきて欲しいものです。
その原因を考えるに、やはり地球温暖化からくる偏西風の蛇行が原因なのかもしれない。
さて、この日記についてなのですが、今日この日記を毎日読んでくれている方が来られ、いろいろとお話をしていたが、やはりその人たちだけの為にも、まだまだずっと続けなければと改めてそう思った。
でも、最近固有名詞がすぐに出てこなくて、検索で調べる事が多くて少し困惑している。
その原因として、始めて見て触って共感する事が年と共に次第に少なくなり、あまり感動しなくなってきているのではないかと思う。
さらに、最近はあまり読書をしていなくて、文章表現がスムーズに表せなくなっている。
あの流暢な文章表現は、やはり読書をする事によってのみ得られるものではないのか。
夕方には、新しいサイクリング仲間のゆーみんさんがロードを買いに来られたが、まだスポーツサイクルに乗るのは始めてで、皆さんアドバイスのご協力お願いいたします。
夜には、先日亡くなられた学童野球監督を偲ぶ会が、近くの居酒屋”千草”でおこなわれ、亡き恩人を偲んでというよりも、それを肴にどんどんお酒も進み、陽気な中、とても楽しいひと時を過ごした。
5月9日
今日は、朝から晴れの暖かい一日。
どうも、この日記を毎日続けていると、マンネリ化して新鮮味がなくなっているように思う。
で、誰が主に読んでいるのかもわからず、只只、目に見えぬ相手に語りかけているだけなのかもしれない。
勿論、文章も下手で、何を言おうとしているかもわからない。
サイクリングしている日は、その事で文面がいっぱいになるのでそれでよいのだが、なんの変哲もない一日だったら書こうとする文面が思いつかない。
かと言って、心情的な事を書くと、何かと誤解されやすい。
それよりも、NHK朝ドラで出ていた一人の相手だけに読んでもらう交換日記なのでも良いのかもしれない。
あの、まだソーシャルネットワークがなかった時代、相手に語りかけるには文章を紙に書くか家または公衆電話で電話するしかなかった。
でも、毎日ではなくて、週一程度だったので、書く文章も電話で話す内容もじっくり考慮できた。
さて、今日の出来事は、仕事が終わって、鈴鹿エンデューロの打ち合わせにSuperDRYさんと入江(町)さん、小橋さん、みーさん、めんさんがPKルームに集まった。
といっても、SuperDRYさんが地酒を持って来られ、それの利き酒会といっても過言ではなかった。
それが又、とても美味しく、口の中にすっと入っていくらでも呑む事ができた。
又、それに対する肴やスイートもテーブルいっぱいに並べられ、私の夕食よりずっと豪華だった。
ありゃ?この中で私だけが鈴鹿に出場しないんだけど
でも、とても楽しい利き酒?だったが、後半夢の中になってしまった。
5月8日
今日は、朝から晴れの空気がひんやりして少し肌寒い一日。
その朝一番には、当店に小橋さんが集合され、森本方面へと向かった。
確かに、ジャージだけでは寒かったが、あえてウィンドブレーカーを着ないで出発した。
案の定、走り出すと、冷たい空気がジャージ越しに浸透して肌寒さを感じた。
でも、快晴の青空の下、直射日光が体に照りつけ、その肌寒さとは裏腹に暖かさを感じた。
その途中の森本駅には、みーさんがすでに集合されていて、3人で小矢部方面に向かった。
その深谷温泉を通り過ぎてからの坂で、二人にどんどん置いてかれ、ひとり黙々と頂上目指して乳酸溜まりまくりの足で登った。
途中、八重桜が咲いててとてもきれいだったが、それを鑑賞する余裕さえなかった。
ようやく、頂上の内山峠のトンネルにさしかかるとホッとした。
そこからは一気に下りなのですが、その下りでも二人の巡航速度が速くて、付いて行くのがやっとというよりも、少し離れてしまった。
第一の休憩地点であるメルヘン小矢部道の駅に到着すると、何故かほっとした。
でも、朝早くて、まだ営業されていないのが残念だった。
そこからは、伏木方面に向かう道路を巡航速度35km/h平均で走った。
平地はそれほど酷くはなく、どうにか二人に付いていく事ができた。
その道中の立山連峰の雪に覆われた山々が、麓は雲に覆われ、その頂上付近だけが見える、とても幻想的な光景に感動した。
特に、雨晴海岸から富山湾越しに見える立山連峰のその姿は絶景だった。
そこから一気に氷見の街へと向かった。
その途中の昭和館では、昭和を彷彿させるような品々が満載で、良き昭和の時代を思い起こされた。
で、本来は定休日だったのですが、その前で話していると、中から店主であるオーナーさんが現れ、中に入れてくれたのです。
まず入って驚いたのは、あの前回のNHK朝ドラの”純と愛”の話題の中心だったジュークボックスが目の前に現れ、その上にビートルズのポスターがバーンと貼ってあるのには驚いた。
で、早速、ビートルズの”レット・イット・ビー”の曲を鳴らしてもらい、そのレコード盤から流れる曲を聴きながら良き時代のレトロな品々を心ゆくまで鑑賞していた。
そのレトロな看板の中で、オロナミンCとカルピス、不二家ミルキーの看板が3代看板らしく、オリエンタルカレー、ボンカレー、仁丹などの懐かしい看板も掲げられていた。
さらに自転車関係では、安全自転車、カワムラ自転車の看板や山口ベニー号の運搬車が展示されていた。
さらに、べーごま、メンコ、駄菓子、石原裕次郎や赤木圭一郎、若山富三郎の映画ポスター、鉛筆削り、カメラ、テレビ、洗濯機、レコードプレーヤなど懐かしい品々が満載だった。
その後、近くのテレビでも紹介された赤飯パンを食べたが、初めての食感にとても満足だった。
そこからは、帰りの時間があまりなかったので、所司原経由で宝達志水町への山越えに向かったが、さすがに乳酸が溜まりすぎて、二人にはかなり離れて置いてきぼりにされた。
ようやく、その麓にある食堂でオムライスを食べたが、さすがにオムライスの街の宝達志水町だけあって、独特の風味でとても美味しかった。
そこからは、みーさんが帰る時間があまりなかったので、一気に金沢方面へと向かった。
その後、小橋さんと二人で久しぶりにテルメ金沢に入り、ゆっくりお風呂を入ったあと、3階の”かこみ”でビールを呑みながら、疲れを癒し、とても楽しいひと時を過ごした。
5月7日
今日は、朝から晴れの弱い冬型の肌寒い一日。
店は、連休明けで、この気温にもかかわらず、商談や納車整備で忙しかった。
さて、世の中を観るに、この世界的な異常気象の原因が何なのかをちと考えてみた。
原因として、どこかの国が自然に逆らうような政策を講じ、人間の物欲だけを最優先にした結果だと思う。
あの中国が、どの産業においても世界の生産拠点になっていて、どんどんCo2を放出して、地球温暖化の原因を作っているのも事実です。
さらに、排気ガスを常に撒き散らして走る車の普及もその原因になっている。
我が国でも、産業界では依然として自動車産業の発言権が強く、政府も思い切った環境対策を講じれられないのでは・・・・・
少し前までの中国では、道路いっぱいに自転車が行き来していたが、今では車で渋滞して、その排気ガスで空がどんよりして見える。
その局地的な異常な環境が地球規模で可笑しくなってきているのも事実です。
最近は、健康ブームという事もあって、自転車が水泳に並んで有酸素運動の王様と言われるようになってきた。
ヨーロッパでは、古くからその事に目をつけ、自転車を推進する政策が講じられている。
特に、自転車優先道路網の拡張やツール・ド・フランスなどの競技の推進等
その傾向は、先進国は勿論、発展途上国であるインドネシアにまで及んでいる。
中国もそのことに気づき、もう少し車の台数を減らすことによって正常な気候を取り戻せるではと思った。
5月6日
今日は、朝から晴れの午前中は暖かく、午後からは肌寒い一日。
その朝一番には、まっきーさんの朝サイク案内に集合場所の大手町ファミマに向かった。
集合場所には、プリンスさん、2号さん、SuperDRYさん、あかさたなはさん改めあはさん、アルコのとある子さん、ろどすたさん、まっきーさんと私の8名が集合した。
さて、どこへ行こうかと思っていたが、グランフォンド富山の練習になるのは近場では内川ダムが一番と頭にピーンと来たので、そちら方面へ向かった。
兼六園下〜小立野〜笠舞〜法島〜大桑〜つつじヶ丘へと向かった。
そこまでは快適だったが、その先の別所の住宅横と内川小中学校横の激坂では、さすがに能登島サイクの疲労からくる乳酸がまだ足に残っていたのでかなり辛かった。
まっきーさんも、遅れながらも足を付かずに登りきった。
勿論、その他の皆さんは、若いのもあってスイスイと先へ先へと登って行った。
内川ダムの向こう側には、まだ八重桜が咲いていて、ダムを背景にとてもきれいに映っていた。
その後、一気に坂を下り、山環沿いの田上のミスドで朝食を取りながらサイクル談義に弾み、とても楽しいひと時を過ごした。
このGWを振り返ってみると、朝サイク〜仕事〜呑み会の繰り返しで、よくもまぁ、挫けずに続いたと自分ながらに感心した。
でも人間、好きな事をしている時は意外と疲れなくて、身も心も充実しているのがよくわかる。
ひとつ辛いのは、仕事中に突然睡魔が襲ってきて眠くなる事です。
本当は、昼食後にひと寝入りするのが一番いいのですが、なにしろ連休中は、商談や納車整備でとても忙しくて眠る暇もなかった。
5月5日(日)
今日も、朝から晴れの清々しい一日。
その朝一番に、当店前の大和公園の駐車場には、ハタナカくんとガノくん、イノキちゃん、少し遅れてあっこちゃんが来られた。
で、途中ハナちゃんが目の前を通り過ぎ、あとを追いかけたのですが見つからなかった。
なにか携帯電話を車の中に忘れて、急いで取りに帰った様子だった。
結局、4人で犀川沿いの道路を走り、西茶屋街〜寺町の裏通りにある隠れスポットの公園で、眼下に見える犀川と古い家並みが見事にマッチした景色をバックに記念撮影をした。
その後、城南〜笠舞〜石引〜小立野から金沢大学付属病院のある宝町〜天神町〜扇町から兼六元町の古くからの喫茶石川門でモーニングセットを注文した。
そのお店の天井には、店主のおばさんが乗られているアンカーのロードレーサーが飾ってあり、店の看板にもなっているのには驚いた。
今から数十年前の喫茶店が全盛時代だった頃に建てられたお店風で、今もその面影が店内の所々に残っていた。
兎に角、この当時はシンプルな造りの喫茶店が多く、当時のしっかりした素材の純国産のテーブルや椅子が数十年経っても少しも傷んでいなかった。
そのモーニングを注文している間に、入江(町)さんから電話があり、朝練でキゴ山に向かわれる途中で寄るような事を言っていた。
で、なんと、その他にニューメンバーのろどすたさんとyouさん、カーキーさんのニューメンバーとセナタクさん、むさしさん、たっきーさん、ウィンターズさん、パンダくん、SuperDRYさん、みーさんの11名が加わり、あっという間に満席になってしまった。
ひとりで切り盛りしている店主のおばさんも、一度に多くのお客さんの注文でてんてこ舞いの様子だった。
その後、我々ゆるポタ組は、あっこちゃんのお話を中心にとても盛り上がり、楽しいひと時を過ごした後、まだオーダーが出ていない朝練組を残し、家路に向かった。
5月4日
今日は、朝から晴れの清々しい一日。
その朝一番には、能登島サイクリングの自走組の第一陣が当店5時30分に集合するので、その5分前には駐車場に向かった。
ちょうど12名の第一陣の中には、途中まで同行されるプリンスさんとかっちゃんと能登島までで折り返すクロスケくんもおられた。
さらに、途中ではムラさんとみーさんが合流された。
その第二陣として、むぎばくさんを途中で載せていくために、当店のハイエースにパンダくんとイノキちゃん、ちかちゃんが乗り、羽咋の金丸駅へと向かった。
その後、第三陣として、12名が集合され、さらに、現地の能登島大橋詰めに8名が集合された。
その集合場所には総勢37名が集合され、集合写真を撮ったあと、3グループに分けて、それぞれ2〜3分間隔で出発した。
さすがに、GWでのと里山海道が無料になった事もあり、県外の車の交通量が多く、各グループリーダーが班ごとに慎重に誘導されていた。
私も第三陣の先導で、慎重に速度も考えながら誘導していたが、やはり一番遅いグループだったので、スピードの個人差が大きく、列が長くなってしまった。
で、一番交通量の多い、最初の休憩地点のひょっこり温泉のあるマリンパーク海族公園にどうにか無事に到着し、小さな島々が浮かぶ絶景の海を背に全員で記念撮影をした。
そこからは、アップダウンの続く山中の坂を上り下りしながら、日の出町の海岸へと走った。
そこはさすがに能登島の北側の昔さながらの漁師町で、交通量が少なくてとても気持ちよく走る事ができた。
海岸線から見える海は、快晴の空の青さとマッチして、とてもきれいな真っ青な海で、その美しさに見とれながらとても気持ちよく走る事ができた。
ちかちゃんもまだ買って数回ロードに乗っただけなのに、ビンディング無しで坂も平地もかなり速く走るのに驚いた。
さらに、その先のイルカが見える見晴台で、休憩がてらイルカの海を背景に再び記念撮影をした。
そこからは、祖母ケ浦〜能登島ガラス美術館〜能登島水族館前を通り過ぎ、ツインブリッジを渡り、七尾湾沿いの道を通って中島へと向かった。
その中島で、以前も利用したお富という割烹で、昼食をとった。
私はエビライ定食を注文したが、その大きなエビが美味しくとても満足だった。
その後、帰りの自走組に体を慣らすために、スピートの速いB組に入って、車組と自走組が別れる地点の田鶴浜まで走った。
そこで車組と別れ、A組がほとんどの自走組と帰りを共にした。
勿論、速さの手加減はなくて、33〜35km/hで走り、さらにあえて志賀町に続く山方面の道を走った。
上りが苦手の私にはかなりキツかったが、どうにか付いていく事ができたできた。
さらに、どういう訳か 志賀町からはあえてアップダウンのある旧道を走り、その上りで、かなり乳酸が溜まり走りの限界に近づいた。
よっしーさんも踏ん張って走ってるので、ここで遅れをとることもできなく、歯を食いしばって走った。
でも、羽咋からはずっとほぼ平地なので、少しづつ体力が回復したので、途中何回か先頭を切って走った。
で、どうにか金沢まで千切ずにすんでほっとした。
その夜には、近くの焼肉寅亭で打ち上げをした。
もう起きているのが限界だったが、あまりの楽しさに眠気も何処かへ飛んでいってしまった。
で、とても、とても楽しい打ち上げもあっという間に時間が過ぎていった。
皆さん、お疲れ様でした。
5月3日
今日は、朝から晴れの暖かい一日。
その朝一番には、芝桜ゆるポタサイクに参加するパンダくんとセナタクさん、SKYさん、鉄ちゃんさん、ウネさん、トモちゃん、はなちゃん、大日サイクリングに行かれる入江(町)さん、クロスケくん、かっちゃんが当店前の駐車場に集合された。
途中の犀川河川敷沿いのサイクリングロードでは、みっちゃんが合流して、観音堂大橋からは小松方面組と内灘方面組に分かれた。
私は、内灘方面組で、目的地である芝桜が咲いている内灘へと皆さんを先導した。
途中、金石や大野の風情ある街並みを通って、金沢港から外環状線に出て港会館、さらに粟崎大橋を渡って宮坂方面へと向かった。
宮坂にある内灘大橋下の用水道路を通り、ちょうど自転車競技場の向かいのハートマークの芝桜が咲いている花畑の真下にロードを停めて、その景観を堪能した。
少し満開時期を過ぎていたが、まだまだ花が綺麗に咲いていて、青空に映える遠くの雪に覆われた白山連峰と内灘大橋が絶妙のコントラストだった。
勿論、恋が結ばれるという二つのハートマークを描いた芝桜もとても綺麗で、それを背景にみんなで記念撮影をした。
いやいや、その芝桜に参加者の姿が自然と溶け込んで、とても素敵な構図だった。
そこからは、内灘大橋までの激坂を登り、その袂の芝に覆われた小さな見晴台からの眺めは、雄大な河北潟と田園と遠くの山々が青空の下、とても素敵に映っていた。
そこを渡った金沢医科大学向かいの喫茶店でモーニングを注文して、皆んなとゆるポタについて語らいながら、とても楽しいひと時を過ごした。
そこからは、清湖大橋を渡って、浅野川沿いの河川敷道路を通って家路に向かった。
さて、今から能登島サイクルの準備に取り掛kらなければならないので、この辺でお開きにしますと寅さん言っていた。
5月2日
今日は、朝から曇りの肌寒い一日。
さてさて、この日記を書いたのはその翌々日でその詳細は忘れてしまった。
でも、夕方に、生まれて始めて体験するコスプレパーティに参加した時の様子だけは目に焼きついている。
そのコスプレの準備には、入江(町)さんと小橋さん、セナタクさん、みっちゃん、めんさんが来られ、それぞれPKルームで着替えて、いざ、会場である片町のカフェアルコブレーゴへとタクシー2台に分乗して向かった。
このまま街を歩くのが恥ずかしいのか、会場前で停まると、周りを気にしながら会場へと足早に向かった。
まずは、入るとすぐに、会費の徴収とポラロイドカメラでその場で撮った写真を名刺替わりにして、そのまま首から吊るした。
で、周りではメイド姿のお姉さんが多くて、目の保養となった。
さらに、あのフラガールズを彷彿させるようなハワイアンガールがお揃いの衣装でひとつのテーブルを囲んでいた。
そのリーダー格のお姉さんは美貌で、なめらかな体の動きにやはり他のダンサーとは違うなと思った。
だいやらは、職場の白装束を着込み、顔はどう見ても変なおじさんソックリで、テレビそのものの演技で会場を沸かせた。
コスプレ大賞とはいかなかったが、コスプレ上位陣だったのは間違えなかった。
途中で遅れて参加したIさんも、他のコスプレお嬢さんよりプロポーション、衣装、演技共々他の人たちとレベルが違ったが、用事があって途中で帰ったのが残念だった。
さて、その後、DRYさんとちかちゃんがチラッと顔を出したので、皆で近くのカフェバーへと向かった。
そこでビールを呑みながら、とても楽しいひと時を過ごした。
5月1日
今日は、朝から冬型の時々小雨がぱらつく寒い一日。
その朝一番には、入江(町)さんから朝サイクのお誘いの電話があったが、2度寝して気づかなかった。
で、その1時間後に、ひとりで内灘方面へと向かった。
犀川河川敷沿いのサイクリングロードは、冬型の向かい風で風が強くて冷たく、寒かった。
でも、走っているうちに少しづつ暖かくなってきた。
このコースは、内灘ロードレース応援サイクリングやバーベキューなのでもう何十回となく走ったコース。
確かに、一部の大通りを除いて車が少なくてサイクリングにはもってこいのコース。
で、ちょうど内灘大橋までは20kmチョイで約1時間かかる。
その橋のたもとの道の駅サンセットパークには、トイレ休憩場があり、向かいの自転車競技場の横にはバーベキュウ場や食堂もある。
この時期は、川向こうの土手沿いには芝桜が咲いていて、向かいからそのハートマークで色付いた姿がよく見えてしゅばらしかった。
そこからは、下道の旧道を通り、粟崎橋〜五郎島橋へと向かった。
ちょうど、家路にたどり着くと同時にポツリポツリと小雨がぱらついてきた。
その後、ふらっとレンタルビデオ店のゲオに行ってみると、ちょうど今日発売ののぼうの城があったので、それを借りて帰った。
さすがに、能楽師の野村萬斎だけあって、その役どころがズバッとあたって、とても見所があった。
確かに、常識を打開するには、決まりきった常套手段では無理で、なにか奇策がないと勝ち目はない。
それを見事に実践して勝利した実話は、経営戦略としても見応えのある作品だった。
夜には、入江(町)さんとパンダくん、セナタクさん、みっちゃん、2号さんが次々とPKルームに来られ、ハタくんとトトロちゃんの結婚披露宴の打ち合わせをされていた。
途中で、私と入江(町)さんは幹事ではなくて居ても仕方がないので、すごすごとその場を離れた。